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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(燃燈佛)
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diipaMkara (skt.)の訳。錠光如来、定光如来とも訳し、提和竭羅(ていわかつら)、提洹竭(ていおんかつ)と音写する。
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<big>dīpaṃkara</big> (S)の訳。錠光如来、定光如来とも訳し、提和竭羅(ていわかつら)、提洹竭(ていおんかつ)と音写する。
  
 
 過去の世に出て、[[じょうぶつ|成仏]]の[[きべつ|記別]]を[[しゃか|釈迦]][[ぼさつ|菩薩]]に授けた仏。
 
 過去の世に出て、[[じょうぶつ|成仏]]の[[きべつ|記別]]を[[しゃか|釈迦]][[ぼさつ|菩薩]]に授けた仏。
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 『[[むりょうじゅきょう|無量寿経]]』巻上には、過去久遠劫に錠光如来が世に出て、これより53仏が出現し、最後の世自在王如来のとき修行して成道したのが阿弥陀如来である、と説かれている。<br>
 
 『[[むりょうじゅきょう|無量寿経]]』巻上には、過去久遠劫に錠光如来が世に出て、これより53仏が出現し、最後の世自在王如来のとき修行して成道したのが阿弥陀如来である、と説かれている。<br>
 
 『[[ほけきょう|法華経]]』序品に、燃灯仏は昔の日月灯明仏に8子あった中の一人であったと説いている。
 
 『[[ほけきょう|法華経]]』序品に、燃灯仏は昔の日月灯明仏に8子あった中の一人であったと説いている。
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===燃灯仏授記===
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 釈尊のはるか過去世の前身が、スメーダ青年として描かれている。
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: その昔、インドのある都にスメーダというバラモンの青年がいた。スメーダ青年は若くして両親を亡くし、多くの財産を相続することとなった。しかし、その財産を両親も死ぬ時に持っていくことができなかったことを想い、人生の意味を考えてしまう。結局、スメーダ青年はヒマラヤの山中に入って、生・老・病・死の苦について、瞑想するのだった。<br>
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: その頃、弟子を従えて諸国を歴訪していたある仏が、山のふもとのある町にやってくるということがあった(ここでは、釈尊以外にもたくさんの仏Ⅱ覚者がいると考えられているのである)。スメーダ青年はそのことを知って、ぜひその仏に会いたいと思い、町の人とあたりを美しく飾って迎えることとした。特にスメーダ青年は、町の人に修行者と知られていたので、道がぬかって汚くなっているところを割り当てられて、その補修に一心にあたっていた。しかし、道の修理が終わらないうちに、仏が町へやってくることになった。<br>
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: スメーダ青年は、仏がドロドロの道にはまらぬよう、自分の背中を渡っていただこうと思い、長い髪を投げ出し、うつ伏せになって身体を泥土への橋とした。仏が自分の背中を渡っていかれる姿に触れて、スメーダ青年はハツと気づくものがあった。<br>
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: 「私一人が力を得ても、私一人が迷いを渡ったとしても、それになんの意味があろう。むしろ一切の人々を迷いから渡す人に、自分もなろう」。こう覚悟を定めずにはいられなかったのである……。
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 一般に、釈尊は、「四門出遊」の話に代表されるように、自己の生・老・病・死への苦からの解脱を求めて、修行に入ったと伝えられていた。しかし、仏伝文学での釈尊の前身、スメーダ青年の覚者をめざす動機は、それをくつがえすものとなっている。むしろ、他者の苦からの解放を自己の第一の願いとするように変換されている。その覚悟は、近くに現れた仏の姿を目のあたりにしてのことによるのであった。<br>
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 この仏は、スメーダ青年の心に菩提心を灯した仏として、燃灯仏(ディーパンカラブッダ)といわれる。こうしてスメーダ青年は、同じ仏となる修行をしようと思って8つの願を立てるのであり、このときディーパンカラ仏は、「かれは遠い世に、きっとゴータマという覚者になるであろう」と予言し、かつその保証を与えるのである。
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これを授記(記莂を授ける)という。<br>
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 この「燃灯仏授記」の物語が、釈尊はいかにして発心し、修行し、仏となったかの問いへの、仏伝文学における解答であった。

2021年8月29日 (日) 23:12時点における最新版

燃燈佛

dīpaṃkara (S)の訳。錠光如来、定光如来とも訳し、提和竭羅(ていわかつら)、提洹竭(ていおんかつ)と音写する。

 過去の世に出て、成仏記別釈迦菩薩に授けた仏。

是の時、燃燈仏は便ち其の記を授け、汝当に来世に仏と作(な)りて、釈迦牟尼と名づくべし    〔大智度論 T25-87a〕

 『無量寿経』巻上には、過去久遠劫に錠光如来が世に出て、これより53仏が出現し、最後の世自在王如来のとき修行して成道したのが阿弥陀如来である、と説かれている。
 『法華経』序品に、燃灯仏は昔の日月灯明仏に8子あった中の一人であったと説いている。

燃灯仏授記

 釈尊のはるか過去世の前身が、スメーダ青年として描かれている。

 その昔、インドのある都にスメーダというバラモンの青年がいた。スメーダ青年は若くして両親を亡くし、多くの財産を相続することとなった。しかし、その財産を両親も死ぬ時に持っていくことができなかったことを想い、人生の意味を考えてしまう。結局、スメーダ青年はヒマラヤの山中に入って、生・老・病・死の苦について、瞑想するのだった。
 その頃、弟子を従えて諸国を歴訪していたある仏が、山のふもとのある町にやってくるということがあった(ここでは、釈尊以外にもたくさんの仏Ⅱ覚者がいると考えられているのである)。スメーダ青年はそのことを知って、ぜひその仏に会いたいと思い、町の人とあたりを美しく飾って迎えることとした。特にスメーダ青年は、町の人に修行者と知られていたので、道がぬかって汚くなっているところを割り当てられて、その補修に一心にあたっていた。しかし、道の修理が終わらないうちに、仏が町へやってくることになった。
 スメーダ青年は、仏がドロドロの道にはまらぬよう、自分の背中を渡っていただこうと思い、長い髪を投げ出し、うつ伏せになって身体を泥土への橋とした。仏が自分の背中を渡っていかれる姿に触れて、スメーダ青年はハツと気づくものがあった。
 「私一人が力を得ても、私一人が迷いを渡ったとしても、それになんの意味があろう。むしろ一切の人々を迷いから渡す人に、自分もなろう」。こう覚悟を定めずにはいられなかったのである……。

 一般に、釈尊は、「四門出遊」の話に代表されるように、自己の生・老・病・死への苦からの解脱を求めて、修行に入ったと伝えられていた。しかし、仏伝文学での釈尊の前身、スメーダ青年の覚者をめざす動機は、それをくつがえすものとなっている。むしろ、他者の苦からの解放を自己の第一の願いとするように変換されている。その覚悟は、近くに現れた仏の姿を目のあたりにしてのことによるのであった。
 この仏は、スメーダ青年の心に菩提心を灯した仏として、燃灯仏(ディーパンカラブッダ)といわれる。こうしてスメーダ青年は、同じ仏となる修行をしようと思って8つの願を立てるのであり、このときディーパンカラ仏は、「かれは遠い世に、きっとゴータマという覚者になるであろう」と予言し、かつその保証を与えるのである。 これを授記(記莂を授ける)という。
 この「燃灯仏授記」の物語が、釈尊はいかにして発心し、修行し、仏となったかの問いへの、仏伝文学における解答であった。