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+ | 自体寛広の意味、周遍包含の義、また、多の義、勝の義、妙の義、不可思議の義。 | ||
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+ | : 体寛広故に。〔倶舎論1〕 | ||
+ | : 包含を義と為す。〔起信論義記上本〕 | ||
+ | : 大義に三あり、大多勝なり。〔法華玄義2〕 | ||
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+ | 他の「大」について‥‥ | ||
+ | 仏菩薩は浄天耳を以って能く大なる(ghana)声を聞く。 | ||
+ | 無上なるを以っての故に説いて名づけて大(udāra)と為す。 | ||
+ | 大なる(bhṛśatara)厭離心を起こす。 | ||
+ | 大なる(mahat)名称ありて世間に流聞す。 | ||
+ | 無上菩提は大なる(mahā)威徳を具す。 | ||
+ | 大なる(vipula)財宝を得ても尚、貪著せず。 | ||
+ | 大なる(vistara)音声を以って吟詠し讃誦す。 | ||
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+ | ===三大=== | ||
+ | [[きしんろん|起信論]]に説かれている、体大・相大・用大の[[さんだい|三大]]。<br> | ||
+ | 人間の心の本体([[たい|体]])と、すがた([[そう|相]])と、はたらき([[ゆう|用]])は、本来が広大無辺であるから、体大・相大・用大という。『起信論』では、衆生の心の実体である平等普遍の理体である[[しんにょ|真如]]の自体を体大、その真如が[[にょらいぞう|如来蔵]]として無証の性徳をたもつ点を相大、その真如が衆生に善を行なわせ、善い果報を得させる作用を用大とする。 |
2022年5月28日 (土) 15:55時点における最新版
大
mahā महा (S)
「大小」と意味的に連続して出てくる場合は、「大きい」「小さい」と読んでも良い。
しかし、特例として単に「大」のみ出てくる場合には、しばしば、仏の働き、仏の属性を述べるために使う場合が多い。そのような場合には「絶待的な」とか「仏の」と読み替えても良い。
自体寛広の意味、周遍包含の義、また、多の義、勝の義、妙の義、不可思議の義。
- 体寛広故に。〔倶舎論1〕
- 包含を義と為す。〔起信論義記上本〕
- 大義に三あり、大多勝なり。〔法華玄義2〕
他の「大」について‥‥
仏菩薩は浄天耳を以って能く大なる(ghana)声を聞く。 無上なるを以っての故に説いて名づけて大(udāra)と為す。 大なる(bhṛśatara)厭離心を起こす。 大なる(mahat)名称ありて世間に流聞す。 無上菩提は大なる(mahā)威徳を具す。 大なる(vipula)財宝を得ても尚、貪著せず。 大なる(vistara)音声を以って吟詠し讃誦す。
三大
起信論に説かれている、体大・相大・用大の三大。
人間の心の本体(体)と、すがた(相)と、はたらき(用)は、本来が広大無辺であるから、体大・相大・用大という。『起信論』では、衆生の心の実体である平等普遍の理体である真如の自体を体大、その真如が如来蔵として無証の性徳をたもつ点を相大、その真如が衆生に善を行なわせ、善い果報を得させる作用を用大とする。