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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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+ | # 相似覚 すでに見思の惑を覚知してこれを断じ、類似の覚悟を得る。これ始覚の初めなり。<br>なお無明の細惑を余していまだ真覚を得ざれば相似覚と名く。真覚に類似するを云ふ。<br>これは別教の三賢位円教の十信位である。 | ||
+ | # 随分覚 分分に無明を断じて分分に真覚を得る。これ別教の十地、円教の十住已上である。 | ||
+ | # 究竟覚 すでに根本無明を断じ尽くして究竟の真覚を得る。即ち如来地なり。 | ||
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2023年2月4日 (土) 14:42時点における版
四覚
- 本覚 一切衆生の自性清浄心、本来妄念を離れて照明の徳あり、本覚と名く。
- 相似覚 すでに見思の惑を覚知してこれを断じ、類似の覚悟を得る。これ始覚の初めなり。
なお無明の細惑を余していまだ真覚を得ざれば相似覚と名く。真覚に類似するを云ふ。
これは別教の三賢位円教の十信位である。 - 随分覚 分分に無明を断じて分分に真覚を得る。これ別教の十地、円教の十住已上である。
- 究竟覚 すでに根本無明を断じ尽くして究竟の真覚を得る。即ち如来地なり。
始覚
一切衆生の本性たる自性清浄心は本来照明の徳を具すれば、これを本覚と名づけ、この本覚の内薫と師教の外縁とに由て始めて厭求の心を起し、本覚に順じて漸々に覚悟の智を生ずるを始覚といふ。即ち本成の四徳(常楽我浄)を本覚といい、始成の四徳を始覚という。
- 始覚の義とは、本覚に依るが故に、とすると逆に「不覚」がある。不覚に依るが故に始覚が有るを説く。〔大乗起信論、T32.0576b〕