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− | Udāna 1.1<br>
| + | =自説経、Udāna= |
− | <big>Paṭhamabodhisutta</big><br>
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− | Evaṁ me sutaṁ—ekaṁ samayaṁ bhagavā uruvelāyaṁ viharati najjā nerañjarāya tīre bodhirukkhamūle paṭhamābhisambuddho. Tena kho pana samayena bhagavā sattāhaṁ ekapallaṅkena nisinno hoti vimuttisukhapaṭisaṁvedī. Variant: vimuttisukhapaṭisaṁvedī → vimuttisukhaṁ paṭisaṁvedī (sya-all, pts-vp-pli1, mr)Atha kho bhagavā tassa sattāhassa accayena tamhā samādhimhā vuṭṭhahitvā rattiyā paṭhamaṁ yāmaṁ paṭiccasamuppādaṁ anulomaṁ sādhukaṁ manasākāsi:
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− | “Iti imasmiṁ sati idaṁ hoti, imassuppādā idaṁ uppajjati, yadidaṁ—avijjāpaccayā saṅkhārā, saṅkhārapaccayā viññāṇaṁ, viññāṇapaccayā nāmarūpaṁ, nāmarūpapaccayā saḷāyatanaṁ, saḷāyatanapaccayā phasso, phassapaccayā vedanā, vedanāpaccayā taṇhā, taṇhāpaccayā upādānaṁ, upādānapaccayā bhavo, bhavapaccayā jāti, jātipaccayā jarāmaraṇaṁ sokaparidevadukkhadomanassupāyāsā sambhavanti. Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa samudayo hotī”ti.
| + | 本経は小部経典15経中第3に位置し、[[ほっくきょう|法句経]]の次、[[にょぜごきょう|如是語経]]の前にある。部分的には漢訳経典中にもあるが、全体としては相当の経はない。 |
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− | Atha kho bhagavā etamatthaṁ viditvā tāyaṁ velāyaṁ imaṁ udānaṁ udānesi:
| + | 元来、優陀那(Udāna)とは、仏陀が感興に従って発せられた偈であるから、普通、感興偈または自説経と称する。今伝わっている自説経は、菩提品、目眞隣陀品、難田品、[[みけ|彌醯]]品、蘇那長老品、生盲品、小品、波叱離村人品の8品より成り、各品には各十経づつを含む。故に全体では80経より成っている。各經は長行(散文)といわゆる優陀那とに分れる。長行はその優陀那の発せらるる因縁を説く。更に一品の終りには摂頌(Uddāna)なるものが加へられ、第8品摂頌の末尾には各品を総括する頌が添えられている。 |
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− | “Yadā have pātubhavanti dhammā,<br>
| + | 各品の題名は必らずしも一品全体の内容を代表したものでなく、その中の1経又は23経によって選ばれたものに過ぎない。<br> |
− | Ātāpino jhāyato brāhmaṇassa;<br>
| + | 但し第7品は一般に短経より成っているので、小品という名を得たのであろう。<br> |
− | Athassa kaṅkhā vapayanti sabbā,<br>
| + | 第1品は成道、第8品は涅槃について述べられているやうに、本経は主として佛陀の伝記に関するものが多く集められている。とすれば律蔵の大品、小品。長部經典の大般涅槃経、その他仏伝等に関する文献と一致するものが存する。 |
− | Yato pajānāti sahetudhamman”ti.<br>
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| + | [[ぶっとん|仏音]]は九分教を解釈し、その中優陀那について「歓喜知に基く偈を伴う82の経是れ優陀那なりと知るべし」と言っている。仏音が82經とした所に誤りなしとすれば、現存の80経との間には多少の変化があるといわなくてはならない。 |
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− | Udāna 1.2<br>
| + | 第5品の6経には大迦旃延の侍者たる蘇那が仏陀の下に赴き、88品の十六偈を悉く暗誦した記事が見出される。この記事は本経の成立問題について一つの示唆を与える、と言はれている。是等に関してはなほ論ずべき間題も残されているが、しかし本経は上に述べたる意味において原始仏教研究には貴重なる文獻の一たる価値を失わない。 |
− | <big>Dutiyabodhisutta</big><br>
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− | Evaṁ me sutaṁ—ekaṁ samayaṁ bhagavā uruvelāyaṁ viharati najjā nerañjarāya tīre bodhirukkhamūle paṭhamābhisambuddho. Tena kho pana samayena bhagavā sattāhaṁ ekapallaṅkena nisinno hoti vimuttisukhapaṭisaṁvedī. Atha kho bhagavā tassa sattāhassa accayena tamhā samādhimhā vuṭṭhahitvā rattiyā majjhimaṁ yāmaṁ paṭiccasamuppādaṁ paṭilomaṁ sādhukaṁ manasākāsi:
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− | “Iti imasmiṁ asati idaṁ na hoti, imassa nirodhā idaṁ nirujjhati, yadidaṁ—avijjānirodhā saṅkhāranirodho, saṅkhāranirodhā viññāṇanirodho, viññāṇanirodhā nāmarūpanirodho, nāmarūpanirodhā saḷāyatananirodho, saḷāyatananirodhā phassanirodho, phassanirodhā vedanānirodho, vedanānirodhā taṇhānirodho, taṇhānirodhā upādānanirodho, upādānanirodhā bhavanirodho, bhavanirodhā jātinirodho, jātinirodhā jarāmaraṇaṁ sokaparidevadukkhadomanassupāyāsā nirujjhanti. Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa nirodho hotī”ti.
| + | 本経の印行は |
− | | + | * 1885年 Steinthal |
− | Atha kho bhagavā etamatthaṁ viditvā tāyaṁ velāyaṁ imaṁ udānaṁ udānesi:
| + | * 1890年 Windisch |
− | | + | によって行われ、<br> |
− | “Yadā have pātubhavanti dhammā,<br>
| + | 英訳は |
− | Ātāpino jhāyato brāhmaṇassa;<br>
| + | * 1902年 D. M. Strong |
− | Athassa kaṅkhā vapayanti sabbā,<br>
| + | ドイツ訳は |
− | Yato khayaṁ paccayānaṁ avedī”ti.<br>
| + | * 1920年 Seidenstucker |
− | | + | によって行われている。 |
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− | Udāna 1.3<br>
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− | <big>Tatiyabodhisutta</big><br>
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− | Evaṁ me sutaṁ—ekaṁ samayaṁ bhagavā uruvelāyaṁ viharati najjā nerañjarāya tīre bodhirukkhamūle paṭhamābhisambuddho. Tena kho pana samayena bhagavā sattāhaṁ ekapallaṅkena nisinno hoti vimuttisukhapaṭisaṁvedī. Atha kho bhagavā tassa sattāhassa accayena tamhā samādhimhā vuṭṭhahitvā rattiyā pacchimaṁ yāmaṁ paṭiccasamuppādaṁ anulomapaṭilomaṁ sādhukaṁ manasākāsi:
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− | “Iti imasmiṁ sati idaṁ hoti, imassuppādā idaṁ uppajjati, imasmiṁ asati idaṁ na hoti, imassa nirodhā idaṁ nirujjhati; yadidaṁ—avijjāpaccayā saṅkhārā, saṅkhārapaccayā viññāṇaṁ, viññāṇapaccayā nāmarūpaṁ, nāmarūpapaccayā saḷāyatanaṁ, saḷāyatanapaccayā phasso, phassapaccayā vedanā, vedanāpaccayā taṇhā, taṇhāpaccayā upādānaṁ, upādānapaccayā bhavo, bhavapaccayā jāti, jātipaccayā jarāmaraṇaṁ sokaparidevadukkhadomanassupāyāsā sambhavanti. Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa samudayo hoti.
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− | Avijjāya tveva asesavirāganirodhā saṅkhāranirodho, saṅkhāranirodhā viññāṇanirodho, viññāṇanirodhā nāmarūpanirodho, nāmarūpanirodhā saḷāyatananirodho, saḷāyatananirodhā phassanirodho, phassanirodhā vedanānirodho, vedanānirodhā taṇhānirodho, taṇhānirodhā upādānanirodho, upādānanirodhā bhavanirodho, bhavanirodhā jātinirodho, jātinirodhā jarāmaraṇaṁ sokaparidevadukkhadomanassupāyāsā nirujjhanti. Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa nirodho hotī”ti.
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− | Atha kho bhagavā etamatthaṁ viditvā tāyaṁ velāyaṁ imaṁ udānaṁ udānesi:
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− | “Yadā have pātubhavanti dhammā,<br>
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− | Ātāpino jhāyato brāhmaṇassa;<br>
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− | Vidhūpayaṁ tiṭṭhati mārasenaṁ,<br>
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− | Sūriyova obhāsayamantalikkhan”ti. <br>
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− | Variant: Sūriyova → suriyova (bj, sya-all, km, pts-vp-pli1)
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− | 心からの言葉 1.1<br>
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− | 覚醒時(1回目)<br>
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− | それで聞いたんです。かつて、仏陀が初めて目覚めたとき、ウルベラの近く、ネランジャラー川のほとりにある目覚めの木の根元に滞在していました。そこで釈迦は7日間、動かずに胡坐をかいて座り、自由の至福を体験した。7日間が経過したとき、仏陀はその浸漬の状態から現れました。夜の最初の部分で、彼は注意深く心を縁起に順方向に適用しました。
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− | 「これが存在するとき、つまり、これの発生により、あれが発生します。つまり、無知は選択の条件なのです。選択は意識の条件です。意識は名前と形態の条件です。名と形は六識領域の条件である。六感フィールドが接触の条件となる。接触は感情の条件です。感情は渇望の条件です。渇望は把握のための条件です。把握は存続の条件です。存在し続けることが再生の条件である。再生は、老いと死、悲しみ、嘆き、痛み、悲しみ、苦痛が生じる条件です。それがこの苦しみ全体の起源です。」
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− | そして、このことを理解した上で、仏陀はその場で次のような心からの思いを表明されました。
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− | 「物事が明らかになったら、<br>
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− | 熱心で瞑想的なバラモンたちに、<br>
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− | 彼の疑念は払拭され、<br>
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− | なぜなら彼は一つ一つの物事とその原因を理解しているからです。」
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− | 心からの言葉 1.2<br>
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− | 覚醒時(2回目)<br>
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− | それで聞いたんです。かつて、仏陀が初めて目覚めたとき、ウルベラの近く、ネランジャラー川のほとりにある目覚めの木の根元に滞在していました。そこで釈迦は7日間、動かずに胡坐をかいて座り、自由の至福を体験した。7日間が経過したとき、仏陀はその浸漬の状態から現れました。夜の後半では、彼は逆の順序で注意深く心を縁起に適用しました。
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− | 「これが存在しないときは、それも存在しません。これの停止により、それは停止します。つまり、「無知がなくなると、選択もなくなる」ということです。選択がなくなると意識も止まります。意識がなくなると、名前も形もなくなります。名と形が止まると、六感領域も停止します。六感フィールドが停止すると、接触が停止します。接触がなくなると感情もなくなります。感情が止むと、渇望も止みます。渇望が止むと、把握も止みます。把握が止むと、存在の継続も止む。継続的な存在が止むと、再生も止みます。再生が止まると、老いと死、悲しみ、嘆き、痛み、悲しみ、苦痛が止まります。そうすることで、この大量の苦しみがなくなるのです。」
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− | そして、このことを理解した上で、仏陀はその場で次のような心からの思いを表明されました。
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− | 「物事が明らかになったら、<br>
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− | 熱心で瞑想的なバラモンたちに、<br>
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− | 彼の疑念は払拭され、<br>
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− | なぜなら、彼は状況の終わりを知っているからです。」<br>
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− | 心からの言葉 1.3<br>
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− | 覚醒時(3回目)<br>
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− | それで聞いたんです。かつて、仏陀が初めて目覚めたとき、ウルベラの近く、ネランジャラー川のほとりにある目覚めの木の根元に滞在していました。そこで釈迦は7日間、動かずに胡坐をかいて座り、自由の至福を体験した。7日間が経過したとき、仏陀はその浸漬の状態から現れました。夜の最後の部分で、彼は注意深く心を順逆の順序で縁起に適用しました。
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− | | + | |
− | 「これが存在するとき、つまり、これの発生により、あれが発生します。これが存在しないときは、それも存在しません。これの停止により、それは停止します。つまり、無知は選択の条件なのです。選択は意識の条件です。意識は名前と形態の条件です。名と形は六識領域の条件である。六感フィールドが接触の条件となる。接触は感情の条件です。感情は渇望の条件です。渇望は把握のための条件です。把握は存続の条件です。存在し続けることが再生の条件である。再生は、老いと死、悲しみ、嘆き、痛み、悲しみ、苦痛が生じる条件です。それがこの苦しみ全体の起源です。
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− | 無知が消えて何も残らなくなると、選択はなくなります。選択がなくなると意識も止まります。意識がなくなると、名前も形もなくなります。名と形が止まると、六感領域も停止します。六感フィールドが停止すると、接触が停止します。接触がなくなると感情もなくなります。感情が止むと、渇望も止みます。渇望が止むと、把握も止みます。把握が止むと、存在の継続も止む。継続的な存在が止むと、再生も止みます。再生が止まると、老いと死、悲しみ、嘆き、痛み、悲しみ、苦痛が止まります。そうすることで、この大量の苦しみがなくなるのです。」
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− | そして、このことを理解した上で、仏陀はその場で次のような心からの思いを表明されました。
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− | 「物事が明らかになったら、<br>
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− | 熱心で瞑想的なバラモンたちに、<br>
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− | 彼は残り、マーラの軍隊を蹴散らし、<br>
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− | 太陽が空を照らすように。」
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元来、優陀那(Udāna)とは、仏陀が感興に従って発せられた偈であるから、普通、感興偈または自説経と称する。今伝わっている自説経は、菩提品、目眞隣陀品、難田品、彌醯品、蘇那長老品、生盲品、小品、波叱離村人品の8品より成り、各品には各十経づつを含む。故に全体では80経より成っている。各經は長行(散文)といわゆる優陀那とに分れる。長行はその優陀那の発せらるる因縁を説く。更に一品の終りには摂頌(Uddāna)なるものが加へられ、第8品摂頌の末尾には各品を総括する頌が添えられている。
第5品の6経には大迦旃延の侍者たる蘇那が仏陀の下に赴き、88品の十六偈を悉く暗誦した記事が見出される。この記事は本経の成立問題について一つの示唆を与える、と言はれている。是等に関してはなほ論ずべき間題も残されているが、しかし本経は上に述べたる意味において原始仏教研究には貴重なる文獻の一たる価値を失わない。