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仏陀の父の浄飯王(スッドーダナ, Suddhodana)の後妻の摩訶波闍波提(マハーパジャーパティー, Mahāpajāpati)との子で、仏陀の異母弟。はじめは妻の愛にひかれて出家することを欲しなかったが、のち仏陀の勧めにより出家し、阿羅漢果を得た。<br> | 仏陀の父の浄飯王(スッドーダナ, Suddhodana)の後妻の摩訶波闍波提(マハーパジャーパティー, Mahāpajāpati)との子で、仏陀の異母弟。はじめは妻の愛にひかれて出家することを欲しなかったが、のち仏陀の勧めにより出家し、阿羅漢果を得た。<br> | ||
− | + | のちに2世紀頃の仏教詩人[[めみょう|馬鳴]](アシュヴァゴーシャ, Aśvaghoṣa)が、彼の出家を主題とする叙事詩サウンダラ・ナンダ「Saundara-nanda」を作った。『雑宝蔵経』8、『仏五百弟子自説本起経』、『増一阿含経』7 | |
==唯識の論師== | ==唯識の論師== |
2024年4月8日 (月) 11:26時点における最新版
難陀
Nanda नन्द (P,S) 「歓喜」と訳す。
仏弟子
Sundarā-nanda सुन्दरानन्द スンダラー・ナンダともいう。
仏陀の父の浄飯王(スッドーダナ, Suddhodana)の後妻の摩訶波闍波提(マハーパジャーパティー, Mahāpajāpati)との子で、仏陀の異母弟。はじめは妻の愛にひかれて出家することを欲しなかったが、のち仏陀の勧めにより出家し、阿羅漢果を得た。
のちに2世紀頃の仏教詩人馬鳴(アシュヴァゴーシャ, Aśvaghoṣa)が、彼の出家を主題とする叙事詩サウンダラ・ナンダ「Saundara-nanda」を作った。『雑宝蔵経』8、『仏五百弟子自説本起経』、『増一阿含経』7
唯識の論師
6世紀頃
唯識十大論師の1人。安慧や浄月と同時代の人で、勝軍(ジャヤ
セーナ, Jayasena)の師。
識のはたらきに関して見相二分の説を立てて二分家と称され、種子はみな新熏すなわち経験によって新たに形成されるものであるとして新熏家と称された。『成唯識論』1・2