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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(阿毘曇)
 
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 [[あびだつま|阿毘達磨]]と同じ、異名。
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 ある場合には、仏は自ら自分の教えの意味(法義)について説かれ、またある場合には、自ら自分の教えに呼び名(法名)を与えられた。弟子たちはその教えをさまざまに受け継ぎ、その意味を解釈した。<br>
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 これを次のように釈尊は説いている。
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: もしある比丘が、原因によって作り出されたすぺての制約的存在(有為法)について、正しく考えることができなければ、たとえその者が世俗的最高真理(世間第一法)を獲得しようと望んでる、それはできない。もし世俗的最高真理を獲得しなければ、完全なさとりへの状態に入ろうと望んでも、それはできない。もし完全なさとりへの状態に入らなければ、[[すだおん|須陀洹]]・[[しだごん|斯陀含]]・[[あなごん|阿那含]]・[[あらかん|阿羅漢]]といった修行の各階位を得ようと望んでも、それはできない。しかしある比丘が、原因によって作られたすぺての制約的存在について正しく考えることができたならば、世俗的妓高真理を獲得するという、このことは可能である。もし世俗的哉高真理を獲得したならば、完全なさとりへの状態に入る。完全なさとりへの状態に入ったならば、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢の階位を得ることは必ず可能である。

2025年2月12日 (水) 10:43時点における最新版

阿毘曇

abhidharma (S)

 阿毘達磨と同じ、異名。

 ある場合には、仏は自ら自分の教えの意味(法義)について説かれ、またある場合には、自ら自分の教えに呼び名(法名)を与えられた。弟子たちはその教えをさまざまに受け継ぎ、その意味を解釈した。
 これを次のように釈尊は説いている。

 もしある比丘が、原因によって作り出されたすぺての制約的存在(有為法)について、正しく考えることができなければ、たとえその者が世俗的最高真理(世間第一法)を獲得しようと望んでる、それはできない。もし世俗的最高真理を獲得しなければ、完全なさとりへの状態に入ろうと望んでも、それはできない。もし完全なさとりへの状態に入らなければ、須陀洹斯陀含阿那含阿羅漢といった修行の各階位を得ようと望んでも、それはできない。しかしある比丘が、原因によって作られたすぺての制約的存在について正しく考えることができたならば、世俗的妓高真理を獲得するという、このことは可能である。もし世俗的哉高真理を獲得したならば、完全なさとりへの状態に入る。完全なさとりへの状態に入ったならば、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢の階位を得ることは必ず可能である。