「じゅうはちふぐうほう」の版間の差分
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+ | # 知見は無障無碍で過去のときに及ぶ | ||
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+ | その内容は、[[じゅうりき|十力]](daśa balāni)と[[しむい|四無畏]]と(catvāri vaiśāradyāni)と[[さんねんじゅう|三念住]](trīṇi smṛty-upasthānāni)と[[だいひ|大悲]](mahā-karuṇā)とをいう。 | ||
大乗仏教では次の18をいう。<br> | 大乗仏教では次の18をいう。<br> | ||
− | + | ①~③ 身・口・意の三業について過失のないこと。<br> | |
− | + | ④ 衆生に対する平等心。<br> | |
− | + | ⑤ 禅定による心の安定。<br> | |
− | + | ⑥ すべてを抱擁して捨てない心。<br> | |
− | + | ⑦~⑪ 衆生済度の欲と精進・念力・禅定・智慧の5点について減退することのないこと。<br> | |
− | + | ⑫ 解脱からあともどりしないこと。(時に⑩禅定を省いて、⑫に解脱知見を入れる。)<br> | |
− | + | ⑬~⑮ 衆生済度のため、智慧の力で身・口・意の三業を現ずること。<br> | |
− | + | ⑯~⑱ 過去・未来.現在の一切のことを知悉してとどこおりないこと。<br> | |
− | 〔維摩経、T14-537a〕〔倶舎論27、T29-140〕〔法華経 譬喩品、T9-10c〕〔教行信証 | + | 〔維摩経、T14-537a〕〔倶舎論27、T29-140〕〔法華経 譬喩品、T9-10c〕〔教行信証 真仏土巻、p.366〕 |
2025年2月12日 (水) 15:10時点における最新版
十八不共法
aṣṭādaśa āveṇikā buddha-dharmāḥ; aṣṭādaśāvenikā (S)
ブッダだけに特有な(不共、すなわち他と共通しない)18の特徴のこと。仏にだけ具わっている18の特質。18種のすぐれた特質。
- 身体の過失がない
- 高声がない
- 記憶の忘失がない
- 心が集中していないことはない
- 種々なりという思いがない
- 考慮せずに無関心であることがない
- 希望の減退がない
- 努力の減退がない
- 記憶の減退がない
- 精神集中の減退がない
- 知恵の減退がない
- 解脱の退転がない
- すべての身体の行為は知恵を先とし、知恵を後に従わせる
- すべてのことばの行為は知恵を先とし、知恵を後に従わせる
- すべての心の行為は知恵を先とし、知恵を後に従わせる
- 知見は無障無碍で過去のときに及ぶ
- 知見は無障無碍で未来のときに及ぶ
- 知見は無障無碍で現在のときに及ぶ
その内容は、十力(daśa balāni)と四無畏と(catvāri vaiśāradyāni)と三念住(trīṇi smṛty-upasthānāni)と大悲(mahā-karuṇā)とをいう。
大乗仏教では次の18をいう。
①~③ 身・口・意の三業について過失のないこと。
④ 衆生に対する平等心。
⑤ 禅定による心の安定。
⑥ すべてを抱擁して捨てない心。
⑦~⑪ 衆生済度の欲と精進・念力・禅定・智慧の5点について減退することのないこと。
⑫ 解脱からあともどりしないこと。(時に⑩禅定を省いて、⑫に解脱知見を入れる。)
⑬~⑮ 衆生済度のため、智慧の力で身・口・意の三業を現ずること。
⑯~⑱ 過去・未来.現在の一切のことを知悉してとどこおりないこと。
〔維摩経、T14-537a〕〔倶舎論27、T29-140〕〔法華経 譬喩品、T9-10c〕〔教行信証 真仏土巻、p.366〕