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[[1353年]]([[ぶんわ|文和]]2) 勅願寺の院宣を受ける。 | [[1353年]]([[ぶんわ|文和]]2) 勅願寺の院宣を受ける。 |
2004年5月3日 (月) 05:55時点における版
善如
ぜんにょ、1333年(正慶2)-1389年(こうおう|康応]]元)
1339年(暦応2) 覚如の置文によって、父親従覚の後の本願寺事務職の継職を定められた。
1351年(観応2) 覚如の没後、本願寺を継職する。
1353年(文和2) 勅願寺の院宣を受ける。