操作

「みさいえ」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(新しいページ: '=御斎会= 「ごさいえ」とも呼ぶことがある。 維摩会最勝会とともに南京三会(南都(なんと)三会)の...')
 
 
2行目: 2行目:
 
「ごさいえ」とも呼ぶことがある。
 
「ごさいえ」とも呼ぶことがある。
  
[[ゆいまえ|維摩会]]・[[さいしょうえ|最勝会]]とともに南京三会(南都(なんと)三会)の一つ。正月8日から14日の7日間、宮中大極殿(だいごくでん)ときには紫宸殿(ししんでん)に本尊として[[るしゃなぶつ|盧遮那仏]]を安置して、『金光明最勝王経』を講説して国家安穏を祈り、僧に斎食を供する法会。
+
  [[ゆいまえ|維摩会]]・[[さいしょうえ|最勝会]]とともに南京三会(南都(なんと)三会)の一つ。正月8日から14日の7日間、宮中大極殿(だいごくでん)ときには紫宸殿(ししんでん)に本尊として[[るしゃなぶつ|盧遮那仏]]を安置して、『金光明最勝王経』を講説して国家安穏を祈り、僧に斎食を供する法会。
 
:平安時代初頭から、最終日に同経の論義を行い、御斎会論義とよばれた。
 
:平安時代初頭から、最終日に同経の論義を行い、御斎会論義とよばれた。
  

2008年4月1日 (火) 08:59時点における最新版

御斎会

「ごさいえ」とも呼ぶことがある。

  維摩会最勝会とともに南京三会(南都(なんと)三会)の一つ。正月8日から14日の7日間、宮中大極殿(だいごくでん)ときには紫宸殿(ししんでん)に本尊として盧遮那仏を安置して、『金光明最勝王経』を講説して国家安穏を祈り、僧に斎食を供する法会。

平安時代初頭から、最終日に同経の論義を行い、御斎会論義とよばれた。
始まりについては、766年(天平神護2)と768年(神護景雲2)の2説がある。

 講師は前年の維摩会講師が勤め、御斎会講師が最勝会講師を勤めることが後に決まった。