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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(南都七大寺)
(南都七大寺)
 
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の五大寺が成立し、それぞれ学派仏教を形成した。<br>
 
の五大寺が成立し、それぞれ学派仏教を形成した。<br>
 
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:6. 西大寺
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:7. [[ほうりゅうじ|法隆寺]]<br>
 
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も加わって、都が平安京にうつる(794)とともに、旧都の官大寺は「'''南都七大寺'''」と呼称された。
 
も加わって、都が平安京にうつる(794)とともに、旧都の官大寺は「'''南都七大寺'''」と呼称された。
  
 
 京都の公卿達は南都七大寺を廻ることが多くなり、その時の巡礼記として1140年(保延6)の大江親通(おおえのちかみち)の『七大寺巡礼私記』などが伝っている。
 
 京都の公卿達は南都七大寺を廻ることが多くなり、その時の巡礼記として1140年(保延6)の大江親通(おおえのちかみち)の『七大寺巡礼私記』などが伝っている。

2008年12月9日 (火) 09:35時点における最新版

南都七大寺

単に「七大寺」と呼ぶこともある。南都(=奈良

 古代の官大寺のことである。

1. 大官大寺
2. 川原寺(かわらでら)
3. 飛鳥寺(あすかでら)

の3寺であったが、のちに薬師寺が加えられ四大寺となり、平城遷都(710)後には、

1. 大安寺
2. 薬師寺
3. 元興寺
4. 興福寺
5. 東大寺

の五大寺が成立し、それぞれ学派仏教を形成した。
 さらに

6. 西大寺
7. 法隆寺

も加わって、都が平安京にうつる(794)とともに、旧都の官大寺は「南都七大寺」と呼称された。

 京都の公卿達は南都七大寺を廻ることが多くなり、その時の巡礼記として1140年(保延6)の大江親通(おおえのちかみち)の『七大寺巡礼私記』などが伝っている。