やくしじ
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薬師寺
奈良市西ノ京町にある寺院で、法相宗の大本山。南都七大寺の一つ。地図
- 680年(天武9)に皇后…のちの持統天皇…の病気平癒を祈って天武天皇(?-686)が建立を発願。天皇の死後は持統天皇(645-702)が造営事業を継続し
- 698年(文武2)に至り完成した。平城京への遷都(710)とともに718年(養老2)に藤原京から移建されたと伝えられ、
- 730年(天平2)には東塔が建てられた。
- 749年(天平勝宝1)には墾田・稲・絁(あしぎぬ)などが施入されたのをはじめ、官寺として国家の庇護を受け
- 830年(天長7)に始められた最勝会は三会の一つとして重要視された。
伽藍配置は、金堂の前面に東西両塔が建ついわゆる薬師寺式である。金堂画像
- 973年(天延1)に金堂と両塔を残して焼失、
- 1528年(享禄1)には金堂や西塔などを焼失するなど数次の被災により、創建時の建物は東塔のみであるが、貴重な文化財を伝えている。
伽藍・寺宝
東塔は各重に裳階を付けた三重塔で、本(もと)薬師寺(橿原(かしはら)市木殿)から移したか、新造したかについては議論が分れる。
相輪上部の水煙は雲の中に12人の飛天を配した透かし彫りで、他に例のない卓抜な意匠である。金堂に安置された本尊の薬師三尊像は、中国盛唐の様式を取り入れた銅造鍍金の像で、豊かな体躯と整ったプロポーションをもつ日本古代彫刻史上の名作である。
東院堂の聖観音像は白鳳期の要素と新しい中国的な要素とをもち、薬師三尊像よりも制作時期が古いとも考えられる優れた像である。
また吉祥天画像は麻布に斜め向きに描かれた天女像で、正装した唐代の女性の姿で表現されている。吉祥悔過の本尊とみられ、奈良時代末期の作である。
仏足石は石の上面に仏足跡を線刻したもので、753年(天平勝宝5)に制作された。仏足跡歌碑は石に21首の歌を刻んだもので、天平時代の金石文として、また仏教文学として貴重である。
なお近年、金堂・西塔・中門を復興するなど、寺観の整備が進められている。