「へんけん」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(新しいページ: '=偏見= 有見・無見のこと。 ---- =辺見= antagraaha-dRSTi (skt.) 辺執見(へんじゅけん、へんしゅうけん)とも訳す。 ...') |
|||
7行目: | 7行目: | ||
極端なことに執着する誤まった見解。二つあって、 | 極端なことに執着する誤まった見解。二つあって、 | ||
− | # | + | # '''常見''' 自我は人の死後も存在する常住なものであるとする |
− | # | + | # '''断見''' 自我は人の死後には斷滅して無くなってしまうとする |
仏教では、自我(aatman)という常住・不変・単一・自在な実体の存在は認めない。各瞬間に滅しながらも、一つの流れ(相続)として続く意識を認める。人間は、解脱して輪廻を超越しない限り、死後もこの意識の流れは続くこととなるが、それは自我ではなく、意識の流れである。 | 仏教では、自我(aatman)という常住・不変・単一・自在な実体の存在は認めない。各瞬間に滅しながらも、一つの流れ(相続)として続く意識を認める。人間は、解脱して輪廻を超越しない限り、死後もこの意識の流れは続くこととなるが、それは自我ではなく、意識の流れである。 |
2011年5月23日 (月) 16:17時点における版
偏見
有見・無見のこと。
辺見
antagraaha-dRSTi (skt.) 辺執見(へんじゅけん、へんしゅうけん)とも訳す。
極端なことに執着する誤まった見解。二つあって、
- 常見 自我は人の死後も存在する常住なものであるとする
- 断見 自我は人の死後には斷滅して無くなってしまうとする
仏教では、自我(aatman)という常住・不変・単一・自在な実体の存在は認めない。各瞬間に滅しながらも、一つの流れ(相続)として続く意識を認める。人間は、解脱して輪廻を超越しない限り、死後もこの意識の流れは続くこととなるが、それは自我ではなく、意識の流れである。