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「ぶつ」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 buddhaを中国において、「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国にbuddhaに当たる意味の語がなかったためであろう。この「佛」の語は、中央アジアの「but」もしくは「bot」に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。<br>
 
 buddhaを中国において、「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国にbuddhaに当たる意味の語がなかったためであろう。この「佛」の語は、中央アジアの「but」もしくは「bot」に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。<br>
 
 「拂」「沸」の発音が「p'iuet」であるから、初期には「佛」も同じか近い発音であったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であり、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない ・ 背くもの 」という意味を持っている。その意味で、buddhaが単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。
 
 「拂」「沸」の発音が「p'iuet」であるから、初期には「佛」も同じか近い発音であったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であり、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない ・ 背くもの 」という意味を持っている。その意味で、buddhaが単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。
なお、「仏」の右のつくりは、私のつくりである△から来ていると見られている
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なお、「仏」の右のつくりは、私のつくりである「ム」から来ていると見られている
  
 
 4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが中国語訳されるようになると、buddhaは「[[ぶっだ|佛陀]]」と二字で音写されるようになる。
 
 4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが中国語訳されるようになると、buddhaは「[[ぶっだ|佛陀]]」と二字で音写されるようになる。
 
:「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」がbuddhaを意味していたことに注意すべきである。
 
:「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」がbuddhaを意味していたことに注意すべきである。

2013年9月26日 (木) 15:08時点における版

ぶつ、「仏」の字は、通常宋・元時代頃から民間で用いられた略字として知られるが、唐の時代には、すでに多く使われており、空海も最澄宛の、国宝「風信帖」の中に使用している。漢字作成時の地域による使用文字の違いとみる有力な見方がある

 buddhaを中国において、「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国にbuddhaに当たる意味の語がなかったためであろう。この「佛」の語は、中央アジアの「but」もしくは「bot」に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。
 「拂」「沸」の発音が「p'iuet」であるから、初期には「佛」も同じか近い発音であったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であり、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない ・ 背くもの 」という意味を持っている。その意味で、buddhaが単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。 なお、「仏」の右のつくりは、私のつくりである「ム」から来ていると見られている

 4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが中国語訳されるようになると、buddhaは「佛陀」と二字で音写されるようになる。

「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」がbuddhaを意味していたことに注意すべきである。