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+ | あらゆる存在の真実の本性として変化することなく常に存在しつづける究極の真理をいう。実体としてあると考えられた自己と物とへの執着が心のなかからなくなったときに顕れてくる心の真実のありよう、すなわち真如のこと。原語pariniṣpannaの原意である「完成された」ということからみれば、修行によって完全に清浄に成った心をいう。<br> | ||
+ | 三性の存在性については、遍計所執性が都無、依他起性が仮有といわれるのに対して、円成実性の存在性は実有といわれる。漢訳された円成実に対して、円は円満、成は成就、実は真実であるとさらに詳しく分析される。性・自性にあたるsvabhāvaをlakṣaṇaとおきかえてpariniṣpanna-lakṣaṇaといい、円成実相ともいう。 | ||
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+ | 云何諸法円成実相。謂、一切法平等真如。於此真如、諸菩薩衆勇猛精進、為因縁故、如理作意、無倒思惟、為因縁故、乃能通達。於此通達、漸漸修集、乃至無上正等菩提、方証円満。(『解深密経』2,T16-693a) |
2017年11月25日 (土) 08:05時点における版
円成実性
pariniṣpanna (S) yoNa su grub paHi No Nid (tib)
円満と成就と真実との三義を具有する不生不滅の無為真如のこと。唯識で説く三性の一つ。
完成されたもの、あらゆるものの真実の本性の意味で、真如と同じである。
- 「性」とは「もの」という意味である。
円成実自性ともいう。円成実と略称。三つの存在のありよう、すなわち、三性(遍計所執性・依他起性・円成実性)の一つ。
あらゆる存在の真実の本性として変化することなく常に存在しつづける究極の真理をいう。実体としてあると考えられた自己と物とへの執着が心のなかからなくなったときに顕れてくる心の真実のありよう、すなわち真如のこと。原語pariniṣpannaの原意である「完成された」ということからみれば、修行によって完全に清浄に成った心をいう。
三性の存在性については、遍計所執性が都無、依他起性が仮有といわれるのに対して、円成実性の存在性は実有といわれる。漢訳された円成実に対して、円は円満、成は成就、実は真実であるとさらに詳しく分析される。性・自性にあたるsvabhāvaをlakṣaṇaとおきかえてpariniṣpanna-lakṣaṇaといい、円成実相ともいう。
云何諸法円成実相。謂、一切法平等真如。於此真如、諸菩薩衆勇猛精進、為因縁故、如理作意、無倒思惟、為因縁故、乃能通達。於此通達、漸漸修集、乃至無上正等菩提、方証円満。(『解深密経』2,T16-693a)