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− | [[げじんみっきょう|解深密経]]では、特に観待・作用・誠成・法爾の4種の道理が説かれる。 | + | [[げじんみっきょう|解深密経]]<T16-686b>では、特に観待・作用・誠成・法爾の4種の道理が説かれる。 |
+ | [[ゆがしじろん|瑜伽師地論]] vol.40 <T30-511b>でも、4種の道理が説かれている。 | ||
+ | # 観特道理 相待道理とも言い、真と俗のように相待的に考えられる道理。 | ||
+ | # 作用道理 因果関係によって存在する作用についての道理。 | ||
+ | # 証成道理 成就道理とも言い、論証によって証明される道理。 | ||
+ | # 法爾道理 法然道理とも言い、火に熱があるように、あるがままのすがたで不変の本性を完成しているという道理。 | ||
===中国文化上の道理=== | ===中国文化上の道理=== | ||
『荀子』(修身)、『韓非子』(解老)、『荘子』(天下)、『戦国策』(秦策)、『淮南子』(主術訓)などに用例が見える。 | 『荀子』(修身)、『韓非子』(解老)、『荘子』(天下)、『戦国策』(秦策)、『淮南子』(主術訓)などに用例が見える。 | ||
− | 道理とは本来「道」をより強く「理」として意識した概念であると思われ、「理」の語はやはり戦国後期の『荘子』(外篇・雑篇) | + | 道理とは本来「道」をより強く「理」として意識した概念であると思われ、「理」の語はやはり戦国後期の『荘子』(外篇・雑篇)、『荀子』,『韓非子』などに多く見える。<br> |
+ | 「[[どう|道]]」が普遍的な根源をいう概念であるのに対し、「[[り|理]]」は個物化の原理としての性格を色濃く持つ概念である。 | ||
戦国後期から漢代にかけて、道と理の関係を規定し、理が個物化・特殊化の原理であることがしだいに明確になっていくが、「道理」はこうした「理」の観念が深められるなかで現れてきた概念である。 | 戦国後期から漢代にかけて、道と理の関係を規定し、理が個物化・特殊化の原理であることがしだいに明確になっていくが、「道理」はこうした「理」の観念が深められるなかで現れてきた概念である。 |
2017年12月9日 (土) 19:34時点における最新版
道理
yukti (skt)
事物のすじみち。事物を貫いている法則。あらゆる事物が存在し、変化していくにあたって必ず依準されるきまり、法則をいう。ことわり。正しい理論。生滅変化する一切万有をつらぬいている法則。
解深密経<T16-686b>では、特に観待・作用・誠成・法爾の4種の道理が説かれる。 瑜伽師地論 vol.40 <T30-511b>でも、4種の道理が説かれている。
- 観特道理 相待道理とも言い、真と俗のように相待的に考えられる道理。
- 作用道理 因果関係によって存在する作用についての道理。
- 証成道理 成就道理とも言い、論証によって証明される道理。
- 法爾道理 法然道理とも言い、火に熱があるように、あるがままのすがたで不変の本性を完成しているという道理。
中国文化上の道理
『荀子』(修身)、『韓非子』(解老)、『荘子』(天下)、『戦国策』(秦策)、『淮南子』(主術訓)などに用例が見える。
道理とは本来「道」をより強く「理」として意識した概念であると思われ、「理」の語はやはり戦国後期の『荘子』(外篇・雑篇)、『荀子』,『韓非子』などに多く見える。
「道」が普遍的な根源をいう概念であるのに対し、「理」は個物化の原理としての性格を色濃く持つ概念である。
戦国後期から漢代にかけて、道と理の関係を規定し、理が個物化・特殊化の原理であることがしだいに明確になっていくが、「道理」はこうした「理」の観念が深められるなかで現れてきた概念である。