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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 音写語としての「[[だらに|陀羅尼]]」は本来、保持する行為、さらに記憶の保持、精神集中などを意味するが、そのために誦する呪句としての陀羅尼の意味をとって訳したものである。
 
 音写語としての「[[だらに|陀羅尼]]」は本来、保持する行為、さらに記憶の保持、精神集中などを意味するが、そのために誦する呪句としての陀羅尼の意味をとって訳したものである。

2017年12月21日 (木) 20:55時点における版

総持

dhāraṇī (S)

 音写語としての「陀羅尼」は本来、保持する行為、さらに記憶の保持、精神集中などを意味するが、そのために誦する呪句としての陀羅尼の意味をとって訳したものである。

 本来インドでは、学習は筆記によらず記憶によった。そのために長大な教義を要約して暗誦し記憶の保持をはかった。暗誦の句がやがて真言の神秘力との連想によってそれ自体記憶を増し、知識を保持する神秘的な力を持つものとして尊重されるようになり、さらにその内容を誦持者自身にもたらすものとして、真言と同じ意味になった。
 ただし、現実には真言に比べて比較的に長大なものを陀羅尼と呼称する場合が多い。

醍醐の通じて一切の病を治するが如く、(総)持の如薬はよく一切の重罪を消し    〔十住心論(1)〕