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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 [[いしき|意識]]によって知られるということ。ものごとを認識する働きの総称。<br>
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 〈唯識〉が説く八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識)すべてに通じる働き。
  
 「寒い」のが了別であって、「寒い」のがあるわけではない。
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 〔『雑集論』2,T31-701c〕に、識の業として、了別外器・了別依止・了別我・了別境界の4種が説かれる。このなか了別外器と了別依止とは[[あらやしき|阿頼耶識]]、了別我は[[まなしき|末那識]]、了別境界は六識の働きをいう。
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 集起の故に心と名づけ、思量の故に意と名づけ、了別の故に識(vi-jñā)と名づく。
  
  不可知の執受と処と了となり    〔[[ゆいしき|唯識]]三十頌 第3頌〕
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: 眼根に依止して色境を了別する識を眼識という。
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: 了とは了別を謂う。即ち是れは行相なり。阿頼耶識は了別を以って行相と為すが故に。
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: 一切の了別の種類を識蘊という。
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: 自相と共相とを了別す。
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: 所縁の境界を了別す。
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: 了、謂、了別。即是行相、識、以了別、為行相故。〔『成論』2,T31-10a〕
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: 識、謂、了別。此中識言亦摂心所、定相応故。〔『成論』1,T31-1a〕
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: 了、謂、了別。詮辨作用、是識義也。〔『枢要』上本、T43-609b〕
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 「寒い」のが了別であって、「寒い」のがあるわけではない。
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   不可知の執受と処と了となり    〔[[ゆいしき|唯識]]三十頌 第3頌〕

2018年9月12日 (水) 11:44時点における最新版

了別

vijñapti (S)

 意識によって知られるということ。ものごとを認識する働きの総称。
 〈唯識〉が説く八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識)すべてに通じる働き。

 〔『雑集論』2,T31-701c〕に、識の業として、了別外器・了別依止・了別我・了別境界の4種が説かれる。このなか了別外器と了別依止とは阿頼耶識、了別我は末那識、了別境界は六識の働きをいう。

 集起の故に心と名づけ、思量の故に意と名づけ、了別の故に識(vi-jñā)と名づく。
 眼根に依止して色境を了別する識を眼識という。
 了とは了別を謂う。即ち是れは行相なり。阿頼耶識は了別を以って行相と為すが故に。
 一切の了別の種類を識蘊という。
 自相と共相とを了別す。
 所縁の境界を了別す。
 了、謂、了別。即是行相、識、以了別、為行相故。〔『成論』2,T31-10a〕
 識、謂、了別。此中識言亦摂心所、定相応故。〔『成論』1,T31-1a〕
 了、謂、了別。詮辨作用、是識義也。〔『枢要』上本、T43-609b〕

 「寒い」のが了別であって、「寒い」のがあるわけではない。

 不可知の執受と処と了となり    〔唯識三十頌 第3頌〕