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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(七覚分)
 
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<big>sapta bodhi-ańgāni</big> (S)
 
<big>sapta bodhi-ańgāni</big> (S)
  
 七覚支・七等覚支ともいう。三十七菩提分法のなかの一群。さとり(覚・菩提、bodhi)の位に近く、さとりを助ける次の7つの支えをいう。
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 七覚支・七等覚支ともいう。[[さんじゅうしちどうぼん|三十七菩提分法]]のなかの一群。さとり(覚・菩提、bodhi)の位に近く、さとりを助ける次の7つの支えをいう。
 
# 念覚支(smṛti-saṃbodhi-ańga)。対象を明瞭に記憶して忘れないこと。
 
# 念覚支(smṛti-saṃbodhi-ańga)。対象を明瞭に記憶して忘れないこと。
 
# 択法覚支(dharma-pravicaya-saṃbodhi-ańga)。智慧によって存在を正しく観察し分析すること。
 
# 択法覚支(dharma-pravicaya-saṃbodhi-ańga)。智慧によって存在を正しく観察し分析すること。
# 精進覚支(vīrya-saṃbodhi-ańga)。くじけることなくさとりに向かって努力すること。
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# 精進覚支(vīrya-saṃbodhi-ańga)。くじけることなくさとりに向かって努力すること。
 
# 喜覚支(prīti-saṃbodhi-ańga)。歓喜の心が生じて執着を離れること。
 
# 喜覚支(prīti-saṃbodhi-ańga)。歓喜の心が生じて執着を離れること。
 
# 軽安覚支(prasrabdhi-saṃbodhi-ańga)。安等覚支ともいう。身心が爽快で自由に活動できること。
 
# 軽安覚支(prasrabdhi-saṃbodhi-ańga)。安等覚支ともいう。身心が爽快で自由に活動できること。

2018年10月29日 (月) 16:16時点における最新版

七覚分

sapta bodhi-ańgāni (S)

 七覚支・七等覚支ともいう。三十七菩提分法のなかの一群。さとり(覚・菩提、bodhi)の位に近く、さとりを助ける次の7つの支えをいう。

  1. 念覚支(smṛti-saṃbodhi-ańga)。対象を明瞭に記憶して忘れないこと。
  2. 択法覚支(dharma-pravicaya-saṃbodhi-ańga)。智慧によって存在を正しく観察し分析すること。
  3. 精進覚支(vīrya-saṃbodhi-ańga)。くじけることなくさとりに向かって努力すること。
  4. 喜覚支(prīti-saṃbodhi-ańga)。歓喜の心が生じて執着を離れること。
  5. 軽安覚支(prasrabdhi-saṃbodhi-ańga)。安等覚支ともいう。身心が爽快で自由に活動できること。
  6. 定覚支(samādhi-saṃbodhi-ańga)。身心に喜びが生じて心が定まること。
  7. 捨覚支(upekṣā-saṃbodhi-ańga)。心がかたよることなく平等の状態に住すること。

cf. 〔『婆沙』96、T27-495c以下〕

 七覚支者、一念等覚支、二択法等覚支、三精進等覚支、四喜等覚支、五安等覚支、六定等覚支、七捨等覚支。〔『瑜伽師地論』28、T30-440a〕