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④ 明治以後のインド学者がヴェーダーンタ哲学のうちのシャンカラ((S) Śańkara)の哲学の中心観念である(S) advaitaの訳語として用いた。一元。インド思想史においては、一元論(advaita)が大勢を占めていた。ウパニシャッド哲学で、宇宙の本質としてのプラフマン((S) brahman 梵)、個人の主体的本質としてのアートマン((S) ātman 我)の2原理が立てられ、この2原理は実 | ④ 明治以後のインド学者がヴェーダーンタ哲学のうちのシャンカラ((S) Śańkara)の哲学の中心観念である(S) advaitaの訳語として用いた。一元。インド思想史においては、一元論(advaita)が大勢を占めていた。ウパニシャッド哲学で、宇宙の本質としてのプラフマン((S) brahman 梵)、個人の主体的本質としてのアートマン((S) ātman 我)の2原理が立てられ、この2原理は実 | ||
は同一のもの(梵我一如)であり、万有は絶対者のプラフマン、アートマンに帰一すべきものとされた。 | は同一のもの(梵我一如)であり、万有は絶対者のプラフマン、アートマンに帰一すべきものとされた。 | ||
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+ | +と-のように、二つが相い合って働くことを言う。 | ||
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+ | 水と波の関係のようなもの。 | ||
+ | : 行信論はこのような関係。'''名号と信心は当体全是の不二'''である。 | ||
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+ | 紙の裏表のような関係。 | ||
+ | : これを'''行信に当てはめると間違う'''。石泉派はここで間違えた。 |
2019年3月14日 (木) 09:46時点における版
不二
① 異ならぬこと。同じ。同体。
② 二つのものの対立のないこと。二つのものの平等。(P) advaya (S) advayā〔『中阿含経』T1-800b〕
③ 実践的には相手の心になること。
④ 明治以後のインド学者がヴェーダーンタ哲学のうちのシャンカラ((S) Śańkara)の哲学の中心観念である(S) advaitaの訳語として用いた。一元。インド思想史においては、一元論(advaita)が大勢を占めていた。ウパニシャッド哲学で、宇宙の本質としてのプラフマン((S) brahman 梵)、個人の主体的本質としてのアートマン((S) ātman 我)の2原理が立てられ、この2原理は実 は同一のもの(梵我一如)であり、万有は絶対者のプラフマン、アートマンに帰一すべきものとされた。
二物相合の不二
+と-のように、二つが相い合って働くことを言う。
当体全是の不二
水と波の関係のようなもの。
- 行信論はこのような関係。名号と信心は当体全是の不二である。
背面相合の不二
紙の裏表のような関係。
- これを行信に当てはめると間違う。石泉派はここで間違えた。