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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 菩薩の[[ごじゅうにい|五十二位]]の修行中の第一十位である。'''十信'''と云ふは佛の教法に入ろうとするものは、まづ信をもって能入とするからである。
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 菩薩が修行すべき[[ごじゅうにい|五十二の段階]]のうち、最初の十の段階をさす。[[しょしん|初心]]の求道者の修すべき十種の心。すなわち仏の教えに入るものは、まず[[しん|信]]によると考えたのである。初心の菩薩が信ずべき心を十種に分けたもの。
  
 
# '''信心'''<br> 一切の妄想を滅尽して中道純真であることを言う。
 
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# '''戒心'''<br> 心光密に廻すれぱ無為に安住して遺失のないことをいう。
 
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# '''願心'''<br> 戒に住して自在なるが故に、能く十方に遊び所作悉く願に随ふことをいう。
 
# '''願心'''<br> 戒に住して自在なるが故に、能く十方に遊び所作悉く願に随ふことをいう。
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 菩薩の行位に五十二を数える華厳の[[しきょう|始教]]、天台の別教と円教とにおいてはこれを最初の十位とし、また[[さんげん|三賢]]を[[ないぼん|内凡]]とするのに対して、これを[[げぼん|外凡]]と名づける。
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 十波羅蜜を行ずる心。プツダグヒャ(Buddhaguhya)の釈によると、利益心・柔輭心・随順心・寂静心・調伏心・寂滅心・謙下心・潤沢心・不動心・不濁心の十心。あるいは、信・慈・悲・捨などの十心、無量の十心があるとする。<br>
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 下には天台宗での十心を挙げる。
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==一、順流十心==
 
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# '''無明昏暗'''<BR> 諸々の衆生は無始より以来暗識昏迷にして明了なる所なく、煩悩に酔わされて一切法において妄に人我を計し、諸々の愛見を起し、想計顛倒して貪瞋痴を起し広く諸業を作る、是に由て生死に流転することをいう。
 
# '''無明昏暗'''<BR> 諸々の衆生は無始より以来暗識昏迷にして明了なる所なく、煩悩に酔わされて一切法において妄に人我を計し、諸々の愛見を起し、想計顛倒して貪瞋痴を起し広く諸業を作る、是に由て生死に流転することをいう。
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# '''念十方佛''' 修行の人昔悪友に親押し其の言を信受して諸々の邪見を起す、今は則ち十方仏の大福徳あり、能く我れを救援するを念ず。是を以て随順悪友の心を翻破することをいう。
 
# '''念十方佛''' 修行の人昔悪友に親押し其の言を信受して諸々の邪見を起す、今は則ち十方仏の大福徳あり、能く我れを救援するを念ず。是を以て随順悪友の心を翻破することをいう。
 
# '''観罪性空''' 修行の人無始以来の諸法の本性空寂を知らずして広く諸悪を作る。今は則ち貪瞋等の一切の悪行は妄念より起り、妄念は顛倒より起り、顛倒は人我の見より起るを了知す。今既に我が心本空に達すれば罪性依る処なし、是を以て無明昏闇の心を観破することをいう。〔摩訶止観4-1、T46.0040a-0040b〕
 
# '''観罪性空''' 修行の人無始以来の諸法の本性空寂を知らずして広く諸悪を作る。今は則ち貪瞋等の一切の悪行は妄念より起り、妄念は顛倒より起り、顛倒は人我の見より起るを了知す。今既に我が心本空に達すれば罪性依る処なし、是を以て無明昏闇の心を観破することをいう。〔摩訶止観4-1、T46.0040a-0040b〕
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==華厳経の仏身==
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 『華厳経』に説く10種の仏身。普通は『華厳孔目章』に見える2種の'''十身'''が用いられる。
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# 解境の十仏。これは菩薩のさとりの智慧によって、一切を仏と見たもので『華厳経』(27)にあげる、衆生身・国土身・業報身・声聞身・辟支仏身・菩薩身・如来身・智身・法身・虚空身をいう。
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# 行境の十仏。これは菩薩の修行が完成した仏の境界をさしたもので『華厳経』(37)にあげる、正覚仏・願仏・業報仏・住持仏・化仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏をいう。
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 これら行境の十仏は、解境の十仏中の第七如来身を開いたものである。また『華厳経』(40)には2種の十身を
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あげている。〔華厳経37、T09-0634c〕〔大般若経568、T07-0932〕
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==釋氏要覧==
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 無着仏・願仏・業報仏・住持仏・涅槃仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏。

2023年2月7日 (火) 00:16時点における最新版

十信

 菩薩が修行すべき五十二の段階のうち、最初の十の段階をさす。初心の求道者の修すべき十種の心。すなわち仏の教えに入るものは、まずによると考えたのである。初心の菩薩が信ずべき心を十種に分けたもの。

  1. 信心
     一切の妄想を滅尽して中道純真であることを言う。
  2. 念心
     真信明了にして一切円通し、幾多の生死を経るとも現前の習気を遺忘しないことをいう。
  3. 精進心
     妙円純真なる精明をもって真浄に進趣すること。
  4. 慧心
     心精現前すれば純真の智慧自然に発起するのをいう。
  5. 定心
     智明を執持すれば周徧寂湛、常に心を一境に凝らす。
  6. 不退心
     定光発明すれば明性深入して唯進むを知って退くことのないことをいう。
  7. 護法心
     心進安然なれば一切仏法を保持して失はず、十方如来と気分交渉することをいう。
  8. 廻向心
     覚明保持すれば能く妙力を以て、仏光廻照を感じ、又佛に向って安住することをいう。
  9. 戒心
     心光密に廻すれぱ無為に安住して遺失のないことをいう。
  10. 願心
     戒に住して自在なるが故に、能く十方に遊び所作悉く願に随ふことをいう。

 菩薩の行位に五十二を数える華厳の始教、天台の別教と円教とにおいてはこれを最初の十位とし、また三賢内凡とするのに対して、これを外凡と名づける。

 菩薩に二種あり、謂く凡夫と聖人となり。十信以還は是れ凡夫、十解以上は是れ聖人なり。〔眞諦譯 攝大乘論釋 、T31.0177c〕 

十心

 十波羅蜜を行ずる心。プツダグヒャ(Buddhaguhya)の釈によると、利益心・柔輭心・随順心・寂静心・調伏心・寂滅心・謙下心・潤沢心・不動心・不濁心の十心。あるいは、信・慈・悲・捨などの十心、無量の十心があるとする。
 下には天台宗での十心を挙げる。

一、順流十心

  1. 無明昏暗
     諸々の衆生は無始より以来暗識昏迷にして明了なる所なく、煩悩に酔わされて一切法において妄に人我を計し、諸々の愛見を起し、想計顛倒して貪瞋痴を起し広く諸業を作る、是に由て生死に流転することをいう。
  2. 外加悪友
     諸々の衆生、内に煩悩を具し、外に悪友に値ひ、邪法は扇動して勤めて我を惑はすと益加して開悟して善業を修するに由なし、是を以て生死に流転することをいう。
  3. 善不随従
     諸々の衆生、内外の悪縁已に具して即ち内の善心を滅し外に善事を滅す、又他人所作の善事に随喜の心を生ぜず、是を以て生死に流転することをいう。
  4. 三業造悪
     諸々の衆生、身口意の三業を姿縦し、殺盗婬妄貪瞋等の過ちを起し、悪として作さざるなし、是れを以て生死に流転することをいう。
  5. 悪心遍布
     諸々の衆生が造る悪事が広くはなくとも悪を作そうとする心は一切処に遍布し、欲する所をもって人を悩害する、是れを以て生死に流転することをいう。
  6. 悪心相続
     諸々の衆生唯だ悪心を起し、悪事を増長すること昼夜相続して間断あることなし、是れを以て生死にるてんすることをいう。
  7. 覆諱過失
     諸々の衆生が作る所の悪行、人の知るを忌諱して自から発露せず、改悔の心なし、是れを以て生死に流転することをいう。
  8. 不畏悪道
     諸々の衆生心、性が陰狼にして戒律を知らず、殺盗婬妄種々の悪事において之を作らないということがない。而して悪道において怙然として畏れず。是をもって生死に流転する。
  9. 無慚無愧
     諸の衆生、愚痴に覆はれて諸々の悪を造り、上には天を慚じることなく、下には人を愧じることなし。是を以て生死に流転することをいう。
  10. 捨無因果
     諸々の衆生、正信の心を具えず、但だ邪悪の見を生じて一切の善悪因縁果報において悉く皆捨して無と爲す、是を以て生死に流転することをいう。〔摩訶止観4-1、T46.0039c-0040a〕

二、逆流十心

  1. 正信因果
     修行の人先づ善悪の果報を信じて疑惑を生ぜず、是を以て撥無因果の心を翻破することをいう。
  2. 自愧剋責
     修行の人性昔を尅責す。我れ羞なく恥なく浄行を棄捨して諸々の悪行を習う、天は我れの陰れたる罪を見る故に天に慚じ、人は我れの願はれたる過を知る故に人に愧じる。是を以て無慚無愧の心を翻破することをいう。
  3. 怖畏惡道 修行の人自から念ずらく、人命無常にして一息続かざれば千載永く往く、幽途緜邈(ベンマク)にして費精あるなし、苦海悠深なり、那ぞ怖れざるを得んと、是に由て苦切に懴悔し、身命を借まず、是を以て不畏悪道の心を翻破することをいう。
  4. 発露懴悔 修行の人所有の過失陰覆せずして発露懴悔す、是を以て覆諱過失の心を翻破することをいう。
  5. 断相続心 修行の人所作の悪行既に懴悔し已て即ち更に決定して悪事を作さず、是を以て悪念相続の心を翻破することをいう。
  6. 発菩提心 修行の人往昔専ら悪念を起して人を悩ませり、今は則ち広く救済の心を起し虚空界に徧し衆生を利益す、是を以て徧布の悪心を翻破することをいう。
  7. 断悪修善 修行の人身口意を恣(ホシイママ)にして諸悪を造作し、昼夜を計らざるに因て今は則ち策励して休まず、諸々の悪行を断じ功を修し、過を補て善をして爲さざるなし。是をもって三業造悪の心を翻破することをいう。
  8. 守護正法 修行の人、若し自から善を滅し、他人の善を行ずるを見て嫉妬を生じて随喜の心なし、今は則ち正法を守護し方便して益法を広む。是を以て善不随喜の心を翻破することをいう。
  9. 念十方佛 修行の人昔悪友に親押し其の言を信受して諸々の邪見を起す、今は則ち十方仏の大福徳あり、能く我れを救援するを念ず。是を以て随順悪友の心を翻破することをいう。
  10. 観罪性空 修行の人無始以来の諸法の本性空寂を知らずして広く諸悪を作る。今は則ち貪瞋等の一切の悪行は妄念より起り、妄念は顛倒より起り、顛倒は人我の見より起るを了知す。今既に我が心本空に達すれば罪性依る処なし、是を以て無明昏闇の心を観破することをいう。〔摩訶止観4-1、T46.0040a-0040b〕

十身

華厳経の仏身

 『華厳経』に説く10種の仏身。普通は『華厳孔目章』に見える2種の十身が用いられる。

  1. 解境の十仏。これは菩薩のさとりの智慧によって、一切を仏と見たもので『華厳経』(27)にあげる、衆生身・国土身・業報身・声聞身・辟支仏身・菩薩身・如来身・智身・法身・虚空身をいう。
  2. 行境の十仏。これは菩薩の修行が完成した仏の境界をさしたもので『華厳経』(37)にあげる、正覚仏・願仏・業報仏・住持仏・化仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏をいう。

 これら行境の十仏は、解境の十仏中の第七如来身を開いたものである。また『華厳経』(40)には2種の十身を あげている。〔華厳経37、T09-0634c〕〔大般若経568、T07-0932〕

釋氏要覧

 無着仏・願仏・業報仏・住持仏・涅槃仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏。