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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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785年(延暦4) [[さいちょう|最澄]]が入山<br>
 
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788年 一乗止観院を建建立。<br>
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788年 一乗止観院を建立。<br>
 
818年(弘仁9) 最澄は[[ほけきょう|法華経]]を納める宝塔六所を全国に置き、比叡山をその中心、総括の地として[[けっかい|結界]]し、九院・十六院を設けた。<br>
 
818年(弘仁9) 最澄は[[ほけきょう|法華経]]を納める宝塔六所を全国に置き、比叡山をその中心、総括の地として[[けっかい|結界]]し、九院・十六院を設けた。<br>
 
822年(弘仁13) 最澄の没後に大乗戒壇が許され、翌年「延暦寺」の寺号が下賜された。
 
822年(弘仁13) 最澄の没後に大乗戒壇が許され、翌年「延暦寺」の寺号が下賜された。
  
 
第1代延暦寺[[ざす|座主]]は義真(ぎしん)。
 
第1代延暦寺[[ざす|座主]]は義真(ぎしん)。

2006年1月25日 (水) 10:56時点における最新版

延暦寺

滋賀県大津市と京都市にまたがる比叡山にある。天台宗の総本山。山号は比叡山。

785年(延暦4) 最澄が入山
788年 一乗止観院を建立。
818年(弘仁9) 最澄は法華経を納める宝塔六所を全国に置き、比叡山をその中心、総括の地として結界し、九院・十六院を設けた。
822年(弘仁13) 最澄の没後に大乗戒壇が許され、翌年「延暦寺」の寺号が下賜された。

第1代延暦寺座主は義真(ぎしん)。