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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(世自在王仏)
 
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=世自在王仏=
 
=世自在王仏=
または「世饒王仏」。「饒」は「自在」の意味である。
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<big>Lokeśvararāja</big> (S)、「世饒王仏」。「饒」は「自在」の意味である。
  
 [[むりょうじゅきょう|無量寿経]]にこの二つの名が出てくる。[[あみだ|阿弥陀]]仏が[[いんに|因位]]の[[ぼさつ|菩薩]]のとき、この仏のもとで出家し、[[しじゅうはちがん|四十八願]]を立てた。
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 [[むりょうじゅきょう|無量寿経]]にこの二つの名が出てくる。[[あみだ|阿弥陀]]仏が[[いんに|因位]]の[[ぼさつ|菩薩]]のとき、この仏のもとで出家し、[[しじゅうはちがん|四十八願]]を立てた。<br>
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 無量寿仏の師として重要である。この仏に対する信仰も独立に行なわれていたもののごとく、『ローケーシヴァラ讃』(''Lokeśvararāja stava'')という書も残っている。また碑文にはローケーシヴァラがアヴァローキテーシヴァラ(観世音菩薩)を意味して使われている例もある。しかしローケーシヴァラとはヒンドゥー教ではシヴァ神の別名であるから、この点で何らかの連絡があるのかもしれない。
  
:義寂云わく。旧本に「楼夷亘羅」と名づく。「lokazvararqqja」これ梵音に存す。これを翻して名を「自在王」となす。憬興云わく。一切法において自在を得る故に。玄一云わく。世間の益 自在なるが故に「世自在」と言ふ。亦「世饒」と言ふ。即ち自在の義「王」と為すなり。     〔無量寿経鈔〕
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:義寂云わく。旧本に「楼夷亘羅」と名づく。「lokezvararaaja」これ梵音に存す。これを翻して名を「自在王」となす。憬興云わく。一切法において自在を得る故に。玄一云わく。世間の益 自在なるが故に「世自在」と言ふ。亦「世饒」と言ふ。即ち自在の義「王」と為すなり。     〔無量寿経鈔〕

2025年1月24日 (金) 14:28時点における最新版

世自在王仏

Lokeśvararāja (S)、「世饒王仏」。「饒」は「自在」の意味である。

 無量寿経にこの二つの名が出てくる。阿弥陀仏が因位菩薩のとき、この仏のもとで出家し、四十八願を立てた。
 無量寿仏の師として重要である。この仏に対する信仰も独立に行なわれていたもののごとく、『ローケーシヴァラ讃』(Lokeśvararāja stava)という書も残っている。また碑文にはローケーシヴァラがアヴァローキテーシヴァラ(観世音菩薩)を意味して使われている例もある。しかしローケーシヴァラとはヒンドゥー教ではシヴァ神の別名であるから、この点で何らかの連絡があるのかもしれない。

義寂云わく。旧本に「楼夷亘羅」と名づく。「lokezvararaaja」これ梵音に存す。これを翻して名を「自在王」となす。憬興云わく。一切法において自在を得る故に。玄一云わく。世間の益 自在なるが故に「世自在」と言ふ。亦「世饒」と言ふ。即ち自在の義「王」と為すなり。     〔無量寿経鈔〕