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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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=無癡=
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 知らないこと。知らないもの。染汚無知と不染汚無知とに分ける。
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 事実に気がつかないこと。
  
 [[さんぜんごん|三善根]]の一つ。心に癡惑がないことを言う。
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=無智=
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<big>a jñā</big>、<big>a jñāna</big> (S)<br>
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 智慧のないこと。無知。
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 故意でないこと.知らないでしたこと。
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由無智思択過失 pratisaṃkhyāya ajñāna-doṣeṇa 無智の過失であると考えて
  
:無癡とは、もろもろの事理において、明解を性となす。愚癡を対治して善となし、楽となす。    〔唯識論6〕
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=無癡・無痴=
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<big>amoha</big> (S)<br>
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「癡」はしばしば「痴」と書くことがある。
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 [[さんぜんごん|三善根]]の一つ。心に癡惑がないことを言う。もしくは11の善の心所の一つ。対境を正しく理解すること。[[しょうけん|正見]]
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無癡とは、もろもろの事理において、明解を性となす。愚癡を対治して善となし、楽となす。    〔[[ゆいしきろん|唯識論]]6〕
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無癡の心所と云うは万の事に明にして物の理に愚なる事なき心也    〔唯識大意〕

2017年7月5日 (水) 20:47時点における最新版

無知

a jñāna (S)、mi śes pa (T)
 知らないこと。知らないもの。染汚無知と不染汚無知とに分ける。


mūḍha (S)
 事実に気がつかないこと。

無智

a jñāa jñāna (S)
 智慧のないこと。無知。


 故意でないこと.知らないでしたこと。

由無智思択過失 pratisaṃkhyāya ajñāna-doṣeṇa 無智の過失であると考えて

無癡・無痴

amoha (S)
「癡」はしばしば「痴」と書くことがある。

 三善根の一つ。心に癡惑がないことを言う。もしくは11の善の心所の一つ。対境を正しく理解すること。正見

無癡とは、もろもろの事理において、明解を性となす。愚癡を対治して善となし、楽となす。    〔唯識論6〕
無癡の心所と云うは万の事に明にして物の理に愚なる事なき心也    〔唯識大意〕