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+ | [[しんらん|親鸞]]は『教行信証』信巻で、権実顕密大小所説の歴劫迂回の菩提心および自力の金剛心などを総じて自力の菩提心とし、願力回向の信楽すなわち願作仏心を横超の大菩提心なりとしている。<br> | ||
+ | 良忠は『観経序分義伝通記』第3で、浄土門の菩提心と聖道門の菩提心を別けて、浄土門の菩提心は願を此土に発して行を彼土に修し、聖道門の菩提心は此土に於いて願行具足するとし、同じく『玄義分伝通記』第1に、さらに菩提心を総安心、三心を別安心と名づけている。聖冏の『釈浄土二蔵義』第11には、厭欣心と菩提心とを併せて総安心としている。 | ||
: 三には、菩提心を発す。深く因果を信ず。 〔観無量寿経〕 | : 三には、菩提心を発す。深く因果を信ず。 〔観無量寿経〕 | ||
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: 発菩提心とは、菩提は胡語。これ翻して道と名づく。果徳圓通の故に菩提と謂く。大菩提に於いて意を起こし趣求するを発菩提心と名づく。 〔大乗義章 9〕 | : 発菩提心とは、菩提は胡語。これ翻して道と名づく。果徳圓通の故に菩提と謂く。大菩提に於いて意を起こし趣求するを発菩提心と名づく。 〔大乗義章 9〕 | ||
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+ | : 菩薩の初発心は是れ一切正願の始なり、悉く能く一切の正願を摂受す。是の故に初の正願を自性願と為す。菩薩は発心して是の言を作さく、我れ当に無上菩提を求め、一切衆生を安立して無余涅槃及び如来の大智を究竟せしむべしと。是の如く発心して菩提の道を求む。‥‥初発心の菩薩を名づけて度と為す、大乗菩提の諸菩薩の数なり、是の故に初発心は度の所摂なり。是の心を発し已りて漸に阿耨多羅三藐三菩提を得、是の故に初発心は是れ菩提の根本なり。是の心を発し已りて諸の衆生の無量の苦を受くるを見、而も悲心を起して之を度脱せんと欲す、是の故に初発心は是れ大悲の所依なり。初発心に依りて菩薩の菩提分法を建立し、及び衆生の所作、菩薩の所学悉く能く修習す、是の故に初発心は是れ菩薩学の所依なり。是の如く初発心は名づけて摂と為し、名づけて根本と為し、名づけて依と為す。 〔『菩薩地持経』1 発菩提心品〕 | ||
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+ | 『如来智印経』には、発菩提心の7つの因縁を説いている。 | ||
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+ | :弥勒、有七法発菩提心。何等為七。一者如仏菩薩発菩提心、二者正法将滅為護持故発菩提心、三者見諸衆生衆苦所逼起大悲念発菩提心、四者菩薩教余衆生発菩提心、五者布施時自発菩提心、六者見他発意随学発心、七者見如末三十二相八十種好具足荘厳若聞発心。弥勒、如是七因縁発菩提心。如仏菩薩発菩提心。正法将滅為護持故発菩提心、見諸衆生衆苦所逼起大悲念発菩提心。発此三心能為諸仏菩薩護持正法。又能疾得不退転地成就仏道。後四発心剛強難伏不能護法。〔T15.470b-c〕 | ||
+ | : 弥勒、七法の菩提心を発こす有り。何等をか七と為すや。一には仏・菩薩の如く菩提心を発こす、二には正法将さに滅せんとするに護持の為めの故に菩提心を発こす、三には諸もろの衆生衆苦に逼められるを見て大悲の念を起こし菩提心を発こす、四には菩薩教えて余の衆生に菩提心を発こさしむ、五には布施の時自から菩提心を発こす、六には他が意を発するを見て随学し発心す、七には如末三十二相八十種好の荘厳を具足するを見、若しは聞き発心す。弥勒、是の如き七つの因縁にて菩提心を発こす。仏・菩薩の如く菩提心を発こすと、正法将さに滅せんとするに護持の為めの故に菩提心を発こすと、諸もろの衆生衆苦に逼められるを見、大悲の念を起こし菩提心を発こすとの、此の三心を発こすは、能く諸もろの仏・菩薩の為めに正法を護持す。又た能く疾く不退転地を得て仏道を成就す。後ちの四つの発心は剛強にて伏し難きも法を護ること能わず。 | ||
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+ | この七因縁のうち、前三者は「成」、後の四者は「不成」であると説いているのをうけて、この所説を本頌に要約しているのである。「成」の発心とは、正法を護持し、必ず菩提を成就する発心のことであり、「不成」とは、正法を護持することができず、また菩提を成就できずにそれを失うことがあるからである。このように『十住毘婆沙論』の「発菩提心品」は如末智印経に拠っているが、これは一例であって、他の諸品においても、諸経に拠っている。そうして経の所説によって要略偈すなわち本頌がつくられていることも同様である。 |
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発菩提心
bodhi-citta-utpādanatā (S)
菩提は無上正真道である。この無上正真道を求める心を発すのを、発菩提心と言う。発心に同じ。
『無量寿経』巻下に三輩往生の人はみな無上菩提心を発すべきことを説いている。これによって曇鸞を始め、中国の諸家ならびに源信などもみな菩提心をもって浄土往生の正因とするのだが、源空の『選択本願念仏集』には廃立の意味から、菩提心を余行として廃捨する。また証空の『観経玄義要義釋観門義鈔』第1には、菩提心に行門と観門の別があって、行門の菩提心はこれを廃捨するが、観門の菩提心は即ち三心であるので之を往生の正因としている。
親鸞は『教行信証』信巻で、権実顕密大小所説の歴劫迂回の菩提心および自力の金剛心などを総じて自力の菩提心とし、願力回向の信楽すなわち願作仏心を横超の大菩提心なりとしている。
良忠は『観経序分義伝通記』第3で、浄土門の菩提心と聖道門の菩提心を別けて、浄土門の菩提心は願を此土に発して行を彼土に修し、聖道門の菩提心は此土に於いて願行具足するとし、同じく『玄義分伝通記』第1に、さらに菩提心を総安心、三心を別安心と名づけている。聖冏の『釈浄土二蔵義』第11には、厭欣心と菩提心とを併せて総安心としている。
- 三には、菩提心を発す。深く因果を信ず。 〔観無量寿経〕
- 家を捨て欲を棄て、而して沙門と作せば、菩提心を発して、一向に専ら無量寿仏を念ず。 〔無量寿経 下〕
- 発菩提心とは、菩提は胡語。これ翻して道と名づく。果徳圓通の故に菩提と謂く。大菩提に於いて意を起こし趣求するを発菩提心と名づく。 〔大乗義章 9〕
- 菩薩の初発心は是れ一切正願の始なり、悉く能く一切の正願を摂受す。是の故に初の正願を自性願と為す。菩薩は発心して是の言を作さく、我れ当に無上菩提を求め、一切衆生を安立して無余涅槃及び如来の大智を究竟せしむべしと。是の如く発心して菩提の道を求む。‥‥初発心の菩薩を名づけて度と為す、大乗菩提の諸菩薩の数なり、是の故に初発心は度の所摂なり。是の心を発し已りて漸に阿耨多羅三藐三菩提を得、是の故に初発心は是れ菩提の根本なり。是の心を発し已りて諸の衆生の無量の苦を受くるを見、而も悲心を起して之を度脱せんと欲す、是の故に初発心は是れ大悲の所依なり。初発心に依りて菩薩の菩提分法を建立し、及び衆生の所作、菩薩の所学悉く能く修習す、是の故に初発心は是れ菩薩学の所依なり。是の如く初発心は名づけて摂と為し、名づけて根本と為し、名づけて依と為す。 〔『菩薩地持経』1 発菩提心品〕
如来智印経
『如来智印経』には、発菩提心の7つの因縁を説いている。
- 弥勒、有七法発菩提心。何等為七。一者如仏菩薩発菩提心、二者正法将滅為護持故発菩提心、三者見諸衆生衆苦所逼起大悲念発菩提心、四者菩薩教余衆生発菩提心、五者布施時自発菩提心、六者見他発意随学発心、七者見如末三十二相八十種好具足荘厳若聞発心。弥勒、如是七因縁発菩提心。如仏菩薩発菩提心。正法将滅為護持故発菩提心、見諸衆生衆苦所逼起大悲念発菩提心。発此三心能為諸仏菩薩護持正法。又能疾得不退転地成就仏道。後四発心剛強難伏不能護法。〔T15.470b-c〕
- 弥勒、七法の菩提心を発こす有り。何等をか七と為すや。一には仏・菩薩の如く菩提心を発こす、二には正法将さに滅せんとするに護持の為めの故に菩提心を発こす、三には諸もろの衆生衆苦に逼められるを見て大悲の念を起こし菩提心を発こす、四には菩薩教えて余の衆生に菩提心を発こさしむ、五には布施の時自から菩提心を発こす、六には他が意を発するを見て随学し発心す、七には如末三十二相八十種好の荘厳を具足するを見、若しは聞き発心す。弥勒、是の如き七つの因縁にて菩提心を発こす。仏・菩薩の如く菩提心を発こすと、正法将さに滅せんとするに護持の為めの故に菩提心を発こすと、諸もろの衆生衆苦に逼められるを見、大悲の念を起こし菩提心を発こすとの、此の三心を発こすは、能く諸もろの仏・菩薩の為めに正法を護持す。又た能く疾く不退転地を得て仏道を成就す。後ちの四つの発心は剛強にて伏し難きも法を護ること能わず。
この七因縁のうち、前三者は「成」、後の四者は「不成」であると説いているのをうけて、この所説を本頌に要約しているのである。「成」の発心とは、正法を護持し、必ず菩提を成就する発心のことであり、「不成」とは、正法を護持することができず、また菩提を成就できずにそれを失うことがあるからである。このように『十住毘婆沙論』の「発菩提心品」は如末智印経に拠っているが、これは一例であって、他の諸品においても、諸経に拠っている。そうして経の所説によって要略偈すなわち本頌がつくられていることも同様である。