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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(般舟三昧)
(般舟三昧)
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<big>pratyutpanna-samādhi</big> (S)の音写。諸仏現前三昧、現在仏悉在前立三昧・常行道三昧・仏立三昧ともいう。
 
<big>pratyutpanna-samādhi</big> (S)の音写。諸仏現前三昧、現在仏悉在前立三昧・常行道三昧・仏立三昧ともいう。
  
 一定の期間この[[さんまい|三昧]]を行なうとき眼のあたりに諸仏が立たれるのを見ることができることから、名づけられたもの。天台宗ではこれを[[じょうぎょうざんまい|常行三昧]]と呼び、四種三昧の一つとした。
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 一定の期間この[[さんまい|三昧]]を行なうとき眼のあたりに諸仏が立たれるのを見ることができることから、名づけられたもの。天台宗ではこれを[[じょうぎょうざんまい|常行三昧]]と呼び、四種三昧の一つとした。<br>
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 7日あるいは90日の一定期間、身・口・意の[[さんごう|三業]]に正行<しょうぎょう>を守って絶え間なく[[ぎょうどう|行道]]を修すること
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により得る精神統一の境地で、十方の諸仏をまのあたりに見ることができるという。<br>
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: 問ひていはく、「般舟三昧楽」とは、これなんの義ぞや。<br>
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: 答へていはく、梵語には「般舟」と名づく、ここには翻じて「常行道」と名づく。あるいは七日、九十日、身行じて無間なり、総じては三業無間に名づく。ゆゑに般舟と名づく。また「三昧」といふは、またこれ西国の語、ここには翻じて名づけて「定」となす。前の三業無間によりて、心至りて感ずるところすなはち仏境現前す。まさしく境現ずる時すなはち身心内悦す。ゆゑに名づけて楽となす。〔般舟讃 p.717〕
  
 念仏三昧、念仏三昧にて見仏する処をさして、般舟三昧という。〔摩訶止観2上、T46,12a〕
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: 念仏三昧、念仏三昧にて見仏する処をさして、般舟三昧という。〔摩訶止観2上、T46,12a〕

2024年8月10日 (土) 20:18時点における版

般舟三昧

pratyutpanna-samādhi (S)の音写。諸仏現前三昧、現在仏悉在前立三昧・常行道三昧・仏立三昧ともいう。

 一定の期間この三昧を行なうとき眼のあたりに諸仏が立たれるのを見ることができることから、名づけられたもの。天台宗ではこれを常行三昧と呼び、四種三昧の一つとした。
 7日あるいは90日の一定期間、身・口・意の三業に正行<しょうぎょう>を守って絶え間なく行道を修すること により得る精神統一の境地で、十方の諸仏をまのあたりに見ることができるという。

 問ひていはく、「般舟三昧楽」とは、これなんの義ぞや。
 答へていはく、梵語には「般舟」と名づく、ここには翻じて「常行道」と名づく。あるいは七日、九十日、身行じて無間なり、総じては三業無間に名づく。ゆゑに般舟と名づく。また「三昧」といふは、またこれ西国の語、ここには翻じて名づけて「定」となす。前の三業無間によりて、心至りて感ずるところすなはち仏境現前す。まさしく境現ずる時すなはち身心内悦す。ゆゑに名づけて楽となす。〔般舟讃 p.717〕
 念仏三昧、念仏三昧にて見仏する処をさして、般舟三昧という。〔摩訶止観2上、T46,12a〕