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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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<big>aphāsu</big> (P)<br>
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 なやむ。不快である。〔『五分戒本』T22.198a〕〔『八宗綱要』91〕
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 なやむ。不快である。〔五分戒本、T22.198a〕〔八宗綱要、91〕
  
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 なやますこと。
 
 なやますこと。
* 悩を生ず vihanyate〔中論 24.7』〕』
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* 悩を生ず vihanyate〔中論 24.7〕
 
* 悩世間    kliśyate jagat
 
* 悩世間    kliśyate jagat
  
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 アビダルマでは、心作用のうちの[[しょうぼんのうじほう|小煩悩地法]]の一つ。他人の諌めを入れぬ頑迷さ。<br>
 
 アビダルマでは、心作用のうちの[[しょうぼんのうじほう|小煩悩地法]]の一つ。他人の諌めを入れぬ頑迷さ。<br>
 
 [[しんだい|真諦]]訳では「不捨」としているが、自己の考えを固執して捨てない、という意味か? 〔倶舎論 21-5〕
 
 [[しんだい|真諦]]訳では「不捨」としているが、自己の考えを固執して捨てない、という意味か? 〔倶舎論 21-5〕
  
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 唯識説では二十[[ずいぼんのう|随煩悩]]の一つ。頑迷。暴言で螫害<せきがい>すること。〔唯識三十頌、T31. 60b〕〔成唯識論、T31. 33b〉
 
 唯識説では二十[[ずいぼんのう|随煩悩]]の一つ。頑迷。暴言で螫害<せきがい>すること。〔唯識三十頌、T31. 60b〕〔成唯識論、T31. 33b〉
  
 
   悩と云は腹を立て人を恨むに依て僻み戻り心の中常に安からず、物を言ふに其言囂<かまびす>くして険しく鄙しく暴らく腹ぐろく毒毒しき心也。〔唯識大意 本18〕
 
   悩と云は腹を立て人を恨むに依て僻み戻り心の中常に安からず、物を言ふに其言囂<かまびす>くして険しく鄙しく暴らく腹ぐろく毒毒しき心也。〔唯識大意 本18〕

2023年6月19日 (月) 11:00時点における最新版

aphāsu (P)

 なやむ。不快である。〔五分戒本、T22.198a〕〔八宗綱要、91〕

upahanti: vihiṃsā (S)

 なやますこと。

  • 悩を生ず vihanyate〔中論 24.7〕
  • 悩世間 kliśyate jagat

pradāśa (S)

 アビダルマでは、心作用のうちの小煩悩地法の一つ。他人の諌めを入れぬ頑迷さ。
 真諦訳では「不捨」としているが、自己の考えを固執して捨てない、という意味か? 〔倶舎論 21-5〕

pradāśa (S)

 唯識説では二十随煩悩の一つ。頑迷。暴言で螫害<せきがい>すること。〔唯識三十頌、T31. 60b〕〔成唯識論、T31. 33b〉

 悩と云は腹を立て人を恨むに依て僻み戻り心の中常に安からず、物を言ふに其言囂<かまびす>くして険しく鄙しく暴らく腹ぐろく毒毒しき心也。〔唯識大意 本18〕