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: このように〔五火説を〕知る人びと、あるいは林間において、信は苦行であると見る人びとは、〔死後、茶毘の〕焔に入り、焔から昼に入り、昼から月の満ちていく半月に入り、月の満ちていく半月から太陽の北行する六ヵ月に入り、この六ヵ月から歳に入り、歳から太陽に、太陽から月に入り、月から稲妻に入る。このとき、人間ならざる人物がこの人びとをブラフマン(中性名詞で、宇宙の根本原理、梵のこと)へと導く。これが神々の道(デーヴァ・ヤーナ)という道である。 | : このように〔五火説を〕知る人びと、あるいは林間において、信は苦行であると見る人びとは、〔死後、茶毘の〕焔に入り、焔から昼に入り、昼から月の満ちていく半月に入り、月の満ちていく半月から太陽の北行する六ヵ月に入り、この六ヵ月から歳に入り、歳から太陽に、太陽から月に入り、月から稲妻に入る。このとき、人間ならざる人物がこの人びとをブラフマン(中性名詞で、宇宙の根本原理、梵のこと)へと導く。これが神々の道(デーヴァ・ヤーナ)という道である。 |
2024年8月2日 (金) 15:11時点における最新版
二道
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では、五火説に引きつづいて、二道説が説かれる。
- このように〔五火説を〕知る人びと、あるいは林間において、信は苦行であると見る人びとは、〔死後、茶毘の〕焔に入り、焔から昼に入り、昼から月の満ちていく半月に入り、月の満ちていく半月から太陽の北行する六ヵ月に入り、この六ヵ月から歳に入り、歳から太陽に、太陽から月に入り、月から稲妻に入る。このとき、人間ならざる人物がこの人びとをブラフマン(中性名詞で、宇宙の根本原理、梵のこと)へと導く。これが神々の道(デーヴァ・ヤーナ)という道である。
- しかし、村落において、祭祀と善行と布施が〔信である〕と見る人びとは、〔死後、茶毘の〕煙に入り、煙から夜に入り、夜から後の半月(月が欠けていく半月)に入り、後の半月から太陽の南行する六ヵ月に入る。この人びとは歳に達しない。〔この人びとは、太陽の南行する〕六ヵ月から祖霊の世界に入り、祖霊の世界から虚空に入り、虚空から月に入る。これ(月)はソーマ王であり、神々の食物である。神々はそれを食べる。〔この人びとは、神々の食べた〕残りがあるあいだそこに留まり、それからまた、やって来た道を引き返す。〔すなわち、〕虚空へ戻り、虚空から風に戻る。風となって煙となり、煙となって霧となる。霧となって雲となる。雲となって〔地上に〕雨と降る。その人びとは、ここ〔地上〕において、米、麦、草、木、胡麻、豆となって生まれる。まことに、ここから脱出することはむずかしい。だれかが〔これを〕食物として食べ、精子を〔女性の胎内に〕注ぎこんだときに、ようやく生まれ変わるのである。したがって、この世において好ましい行いを積む者は、〔死後、右の過程を経て〕好ましい母胎に、すなわち、バラモンの母胎に、あるいはクシャットリヤの母胎に、あるいはヴァイシャの母胎に入るにちがいない。しかし、汚らわしい行いを積む者は、汚らわしい母胎に、すなわち、犬の母胎に、あるいは豚の母胎に、あるいはチャンダーラの母胎に入るにちがいない。
- これとはまた別に、小さな生きものたちは、この二つの道のいずれにもよることなく、『生まれよ』『死ね』というぐあいに、繰り返し〔この世に〕戻ってくる。これが第三の境涯である。そこで、かの世界は〔死者で〕一杯にならないのである。したがって、人は〔行いを正しくしてみずからを〕守らなければならない。そこでつぎの詩頌がある。
- 『黄金を盗む者、酒を飲む者、
- 師の寝所を侵犯する者、バラモンを殺す者、
- これらの四者は没落する。
- その者たちと交わる第五の者も』
- しかし、このようにこれら五火を知る者は、たとえそうした者たちと交わろうとも、悪に汚されることがない。このように知る者は純粋であり、清浄であり、福徳の世界を得る者である」〔『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』、五・一○・一〜一○〕