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仏教では、自我(ātman)という常住・不変・単一・自在な実体の存在は認めない。各瞬間に滅しながらも、一つの流れ(相続)として続く意識を認める。人間は、解脱して輪廻を超越しない限り、死後もこの意識の流れは続くこととなるが、それは自我ではなく、意識の流れである。 | 仏教では、自我(ātman)という常住・不変・単一・自在な実体の存在は認めない。各瞬間に滅しながらも、一つの流れ(相続)として続く意識を認める。人間は、解脱して輪廻を超越しない限り、死後もこの意識の流れは続くこととなるが、それは自我ではなく、意識の流れである。 | ||
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2017年4月22日 (土) 18:05時点における版
偏見
有見・無見のこと。
辺見
antagrāha-dṛṣṭi (skt.) 辺執見(へんじゅけん、へんしゅうけん)とも訳す。
極端なことに執着する誤まった見解。二つあって、
- 常見 自我は人の死後も存在する常住なものであるとする
- 断見 自我は人の死後には斷滅して無くなってしまうとする
仏教では、自我(ātman)という常住・不変・単一・自在な実体の存在は認めない。各瞬間に滅しながらも、一つの流れ(相続)として続く意識を認める。人間は、解脱して輪廻を超越しない限り、死後もこの意識の流れは続くこととなるが、それは自我ではなく、意識の流れである。
cf. 悪見