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「ごんせつ」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(ページの作成:「=言説= 「げんせつ」とも「ごんせつ」とも読むが、「ごんぜつ」がもっとも多く使われている。 「<big>vāc</big> (S)」 「こ...」)
 
(言説)
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「<big>prajñapti</big>」(S)ことばによって仮に設定すること。<br>
 
「<big>prajñapti</big>」(S)ことばによって仮に設定すること。<br>
 
 「但有言説」名称としてのみ存在する。人間が〈それが存在する〉とほしいままに独断して名づけたものであるから、その名のみが存在するに過ぎない、という意味。〔倶舎論2巻〕
 
 「但有言説」名称としてのみ存在する。人間が〈それが存在する〉とほしいままに独断して名づけたものであるから、その名のみが存在するに過ぎない、という意味。〔倶舎論2巻〕
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==起信論==
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: 一切の言説は仮名にして実なく、但だ妄念に随うのみにして、不可得なるを以っての故に、真如と言うも亦た相あることなし。謂く、言説の極みは言に因って言を遣るなり。

2024年12月5日 (木) 14:06時点における版

言説

「げんせつ」とも「ごんせつ」とも読むが、「ごんぜつ」がもっとも多く使われている。

vāc (S)」 「ことば」のこと。

deśanā」「deśanā-pāṭha」(S) ことばをもって法を説くこと。

abhilāpa」(S)『起信論』では、言説は妄念の現れであるとして、差別的な言葉と解釈している。〔起信論 T32-576a〕

prajñapti」(S)ことばによって仮に設定すること。
 「但有言説」名称としてのみ存在する。人間が〈それが存在する〉とほしいままに独断して名づけたものであるから、その名のみが存在するに過ぎない、という意味。〔倶舎論2巻〕

起信論

 一切の言説は仮名にして実なく、但だ妄念に随うのみにして、不可得なるを以っての故に、真如と言うも亦た相あることなし。謂く、言説の極みは言に因って言を遣るなり。