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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 くりかえして修行すること。修行を積み重ねること。[[しゃくしゅ|積修]]とおなじ。
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: 諸の菩薩の悲は無量百千大劫を経て積習して成ずるが故に[[だいひ|大悲]]と名づく。
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 善やさとりに至るための糧(資糧)を貯えること。
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: 善を積集する
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 (善根を)積むこと。積みあつめ、修め習う。〔瑜伽師地論49、T30.0568c〕
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 こころを心と意と識とに分類するとき、心の堆積する働きを'''積集'''と呼ぶ。〈唯識〉は八識を心・意・識に分類して、心を[[あらやしき|阿頼耶識]]とみなすから、この場合の'''積集'''の働きは阿頼耶識に限定される。深層の根源的な心である阿頼耶識が表層の業の結果である種子を堆積する働きをいう>。
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有説。此中心声、総説一切心及心所。以彼皆有積集義故。〔『婆沙論』180、T27.0903a〕
  
(善根を)積むこと。積みあつめ、修め習う。〔瑜伽師地論49、T30.0568c〕
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然第八識、錐諸有情皆悉成就、而随義別、立種種名。謂、或名心、由種種法薫習種子所積集故。〔『成唯識論』3,T31.0013c〕
  
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積集義、是心義。〔『状唯識論述記』3末、T43.0343c〕
  
 
* [[しゃくじゅ|積聚]]を「しゃくじゅう」と読むことがある。
 
* [[しゃくじゅ|積聚]]を「しゃくじゅう」と読むことがある。

2023年7月12日 (水) 16:25時点における最新版

積習

paricita (S)

 くりかえして修行すること。修行を積み重ねること。積修とおなじ。

 梵行を積習する歓喜。
 諸の菩薩の悲は無量百千大劫を経て積習して成ずるが故に大悲と名づく。

積集

saṃcita (S)

 集まって構成すること。〔倶舎論 1、T29.0008c〕〔瑜伽師地論16、T30.0363c〕


ā-ci: upacaya (S)

 善やさとりに至るための糧(資糧)を貯えること。

 善を積集する
 善根を積集する
 資糧を積集する

 (善根を)積むこと。積みあつめ、修め習う。〔瑜伽師地論49、T30.0568c〕


ci (S)

 こころを心と意と識とに分類するとき、心の堆積する働きを積集と呼ぶ。〈唯識〉は八識を心・意・識に分類して、心を阿頼耶識とみなすから、この場合の積集の働きは阿頼耶識に限定される。深層の根源的な心である阿頼耶識が表層の業の結果である種子を堆積する働きをいう>。

有説。此中心声、総説一切心及心所。以彼皆有積集義故。〔『婆沙論』180、T27.0903a〕
然第八識、錐諸有情皆悉成就、而随義別、立種種名。謂、或名心、由種種法薫習種子所積集故。〔『成唯識論』3,T31.0013c〕
積集義、是心義。〔『状唯識論述記』3末、T43.0343c〕
  • 積聚を「しゃくじゅう」と読むことがある。