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+ | : そこで、その天女が長老シャーリプトラに言った、「大徳よ、この花を振り落としてなんになさるのですか」。答えて言う、「天女よ、これらの'''花(で飾ること)は、(出家の身には)ふさわしくない'''ことですから、取り去ろうとするのです」 | ||
+ | : 天女が言う。「大徳よ、そのようなことをおっしゃってはなりません。なぜかといえば、'''この花は法にかなったもの'''です。その理由は、この花のほうでは考えたり分別したりしないのに、長老シャーリプトラこそが、思慮し分別しているからです。大徳よ、出家して善説の法と律とのなかにありながら、思慮し分別するならば、それこそ法にかなわないことなのです。'''長老は(法や律について)はからいをめぐらし分別していますが、思いはからうことのないことこそが正しい'''のです。 |
2024年12月16日 (月) 16:54時点における版
不二
① 異ならぬこと。同じ。同体。
② 二つのものの対立のないこと。二つのものの平等。(P) advaya (S) advayā〔『中阿含経』T1-800b〕
③ 実践的には相手の心になること。
④ 明治以後のインド学者がヴェーダーンタ哲学のうちのシャンカラ((S) Śańkara)の哲学の中心観念である(S) advaitaの訳語として用いた。一元。インド思想史においては、一元論(advaita)が大勢を占めていた。ウパニシャッド哲学で、宇宙の本質としてのプラフマン((S) brahman 梵)、個人の主体的本質としてのアートマン((S) ātman 我)の2原理が立てられ、この2原理は実 は同一のもの(梵我一如)であり、万有は絶対者のプラフマン、アートマンに帰一すべきものとされた。
二物相合の不二
+と-のように、二つが相い合って働くことを言う。
当体全是の不二
水と波の関係のようなもの。
- 行信論はこのような関係。名号と信心は当体全是の不二である。
背面相合の不二
紙の裏表のような関係。
- これを行信に当てはめると間違う。石泉派はここで間違えた。
維摩経
- そこで、その天女が長老シャーリプトラに言った、「大徳よ、この花を振り落としてなんになさるのですか」。答えて言う、「天女よ、これらの花(で飾ること)は、(出家の身には)ふさわしくないことですから、取り去ろうとするのです」
- 天女が言う。「大徳よ、そのようなことをおっしゃってはなりません。なぜかといえば、この花は法にかなったものです。その理由は、この花のほうでは考えたり分別したりしないのに、長老シャーリプトラこそが、思慮し分別しているからです。大徳よ、出家して善説の法と律とのなかにありながら、思慮し分別するならば、それこそ法にかなわないことなのです。長老は(法や律について)はからいをめぐらし分別していますが、思いはからうことのないことこそが正しいのです。