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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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[[1274年]](文永11年)[[いっぺん|一遍]]によって起された浄土教の一派。<br>
 
[[1274年]](文永11年)[[いっぺん|一遍]]によって起された浄土教の一派。<br>
一遍は、浄土宗西山派の宗祖、証空の門下の聖達の弟子である。[[ぜんどう|善導]]が、その法会に集まった人たちを「時衆」と呼んだので、門下の僧尼をそのように呼んだことから、宗派の名前が付けられた。昼夜六回、念仏して浄土への往生を願う同行という意味である。
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一遍は、浄土宗西山派の宗祖、証空の門下の聖達の弟子である。
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[[ぜんどう|善導]]が、その法会に集まった人たちを「時衆」と呼んだので、門下の僧尼をそのように呼んだことから、宗派の名前となった。昼夜六時に、念仏して浄土への往生を願う同行という意味である。教団名として認められたのは、江戸時代のことである。

2004年10月20日 (水) 17:06時点における版

時宗

1274年(文永11年)一遍によって起された浄土教の一派。
一遍は、浄土宗西山派の宗祖、証空の門下の聖達の弟子である。

善導が、その法会に集まった人たちを「時衆」と呼んだので、門下の僧尼をそのように呼んだことから、宗派の名前となった。昼夜六時に、念仏して浄土への往生を願う同行という意味である。教団名として認められたのは、江戸時代のことである。