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講説すると聴衆は常に數百集まった。著書に『資持濟縁』『彌陀義疏』『刪定律儀本』などがある。 | 講説すると聴衆は常に數百集まった。著書に『資持濟縁』『彌陀義疏』『刪定律儀本』などがある。 | ||
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+ | :『[[きょうぎょうしんしょう|教行信証]]』行巻に、『弥陀経義』として引用されている。 |
2012年1月25日 (水) 11:10時点における版
元照
中国、杭州の靈芝寺の律師、字を湛然という。おさなくして惠鑑に戒律を学び、天台の教觀を講じるが、律を本にしている。また、広く菩薩戒を授けた。
常にボロを着て、杖と鉢とを以て市で乞食をしていた。
晩年、靈芝寺に三十年住んだ。自ら安忍子と号し、普賢行願品を読誦していたという。壽六十九で結跏趺坐したまま遷化した。
講説すると聴衆は常に數百集まった。著書に『資持濟縁』『彌陀義疏』『刪定律儀本』などがある。
- 『教行信証』行巻に、『弥陀経義』として引用されている。