「もんぜき」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(→浄土真宗) |
|||
37行目: | 37行目: | ||
# 興正寺 | # 興正寺 | ||
− | + | 1871年(明治4)諸政一新とともに門跡制度は廃止、以降私称として使われる。 |
2017年6月29日 (木) 23:28時点における最新版
門跡
平安初期には一門の祖師の法統を継承する寺、またはその僧をさした。宇多法皇が仁和寺に御室を造り密教潅頂を伝えたので、後世これを御門跡と呼んだ。その後、法王・法親王の開設・住持する寺院を御門跡と称した。
室町時代ごろから一種の寺格となる。江戸幕府は門跡を制度化し、法親王の住持する宮(みや)門跡、摂家(せっけ)の子弟の住持する摂家門跡、そのほかに清華(せいが)門跡・公方(くぼう)門跡・准(じゆん)門跡を区別して設けた。
天台宗
- 青蓮院 粟田口
- 妙法院 大佛
- 曼殊院 竹内
- 輪王寺 上野
- 毘沙門堂 山科
- 圓融院 大原
- 圓満院 三井
- 聖護院
- 実相院 岩倉
この内、青蓮院・妙法院・圓融院は山門の座主を兼ねるので叡山の三門跡。圓満院・聖護院・実相院は三井の三門跡。
真言宗
- 仁和寺 御室(おむろ)
- 大覚寺 嵯峨(さが)
- 三宝院 醍醐(だいご)
- 随心院 小野
- 勤修寺 山科(やましな)
- 蓮華光院 安井
法相宗
- 一乗院 南都
- 大乗院 南都
浄土宗
- 知恩院 東山
浄土真宗
- 本願寺 (本願寺派)
- 本願寺 (大谷派)
- 専修寺
- 仏光寺
- 興正寺
1871年(明治4)諸政一新とともに門跡制度は廃止、以降私称として使われる。