まん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
慢
māna (S) アビダルマでは七十五法のうち不定地法の一つ。唯識では百法のうち六根本煩悩の一つとする。自他を比較して他を軽蔑し、自らを恃<たの>み、心が高ぶること。自負慢心すること。憍(mada)はおのれの性質(美貌や若さや血統や学識など)をすぐれたものと考え、自己に執着する心のおごりをいう。
家柄・才能・財産などに関して自己より劣っている他者に対して自己は彼れより勝れているとおごる心。あるいは自己と等しい他者に対して彼れと等しいと思う心。七慢の一つ。
- 於他下劣、謂已為勝、或復於等、謂己為等、令心高挙故、名為慢。〔『瑜伽』89、T30-802b〕
- 慢者、謂、於下劣、計己為勝、或於不相似、計己相似、心挙為性。〔『集論』4,T31-676c〕
- 云何為慢。侍己於他、高挙為性。能障不慢、生苦為業。〔『成唯識論』6,T31-31b〕
七慢
- 慢(māna)
自分より劣ったものに対して、自分のほうがすぐれていると自負し、同等なものに対しては、同等であると、心を高ぶらせる。 - 過慢(atimāna)
自分と同等のものに対しては、自分がすぐれているとし、自分よりすぐれたものに対して、自分と同等であるとする。 - 慢過慢(māna-atimāna)
自分よりすぐれたものに対して、自分のほうがすぐれているとする。 - 我慢(asmi-māna)
自分の身心を永遠不変の我とたのむ。 - 増上慢(abhimāna)
まだ悟りを得ないのに悟りを得たとする。 - 卑慢(ūnamāna)
自分より多くすぐれているものに対して、自分は少し劣っているだけであるとする。 - 邪慢(mithyā-māna)
徳がないのに自ら徳があるとする。