かんじょう
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勧請
仏に勧めて、法を説いたり、世に久しく住することを請うこと。釈尊が悟りを得たとき梵天がきて法を説くことを請い願ったり、あるいは普賢菩薩の十大願の第七に、仏がこの世に長くとどまることを請い願うなどの用例がある。
日本では、神仏の神託を請うこと、神仏の霊や形像を招請し奉安することをもいう。中世、日吉山王社、八幡宮、祇園社、天満宮、そのほか有名神社の祭神の分霊は、全国に勧請された。こうした神は勧請神といわれたが、祭りのために臨時に祭壇に招請される神をさす場合もある。
灌頂
561年 - 632年 中国、唐代の天台宗の僧。字は法雲、俗姓は呉氏。浙江省臨海県章安の人。
7歳で摂静寺(しょうじょうじ)の慧拯に学び、583年(至徳1)智顗に師事して天台の教えを受ける。その後はつねに侍者として仕え、『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』などの師の講説を筆録した。
師の没後、『智者大師別伝』を著し、また師に関する書簡、碑文を集めて『国清百録(こくせいひゃくろく)』4巻を編するなど、天台宗の成立に果たした功績は大きい。
著書
- 『涅槃経疏(ねはんぎょうしょ)』2巻
- 『観心論疏(かんじんろんしょ)』5巻
など