天台三大部とも呼ぶ。智顗の著わした三部作の著作のこと。
陳の至徳三年(585)陳の少主の懇請によって、天台山を下って再び金陵に出て、光宅寺において『法華文句』を講じた。さらに故郷に帰って玉泉寺を建て、ここで593年に『法華玄義』を講じ、594年に『摩訶止観』を講じた。これら三部作を法華三大部と呼ぶ。 この三大部の基調となる諸法実相観は、先の華頂峰上の一実諦の宗教体験に基づく。