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あみだにょらい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2021年6月8日 (火) 13:29時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (阿弥陀如来)

阿弥陀如来

 阿弥陀仏には多くの異名があるが。漢訳経典においてもっとも一般的な呼称は阿弥陀である。しかし現存サンスクリッ卜文献には「阿弥陀」そのものに相当する原語はあらわれず、Amitābha(無量光仏)およびAmitāyus(無量寿仏) の2つの複合語が見られ。同一の経典においても、それぞれの個所で、そのいずれかが任意に用いられていて。二名のうちのいずれか一つが他より重要視された形跡はない。漢訳経典における無量光仏・無量寿仏についても同様である。同一の仏陀が二つの名称をもって経典中にあらわれるというこの事実を解釈するためには。上記の2つの名称に発展する以前の、両者に共通しうるような原語を想定するか、あるいは別々に存在した二人の仏格がある時期に一人の仏格と見なされるようになった、とするか、2つの考え方しかありえない。  前者の考え方としては。古く、荻原雲来氏によって、阿弥陀はサンスクリッ卜語のamṛta(不死。不死をもたらす神酒である甘露)の俗語にあたるamita, amidaの中国音写であるという説が提唱された。しかし、この説は。サンスクリッ卜語のamṛtaは中期インド語においてはamataとはなってもamita, amidaとはなりにくい、という理由で、一般には受けいれられなかった。ここにいう俗語あるいは中期インド語とは、ヴェーダ語および古典サンスクリッ卜語を古代インド・アーリアン語と呼ぶのに対し、西紀前6世紀ころから後11世紀ころまでに用いられた多くのインド・アーリアンの民衆語で、プラークリッ卜語と総称されるものである。  近年、岩松浅夫氏は、サンスクリッ卜語amṛtaは俗語においてamita, amidaとはなりにくいが、amṛdaとなる可能性はあり、他方中国古代音がこの語を「阿弥陀」と写し得た、と主張した。しかし、藤田宏達氏はみずから中国古代音をも精査して、岩松説に反対している。  似たような発想は、「無量〔な〕」を意味するサンスクリッ卜語amitaあるいはその俗語形amidaの中国対音が阿弥陀である、という、かなり古い説にもあらわれているが、これはAmita-ābha, Amita-āyusという2つの複合語の前分を阿弥陀の原名としたもので、やや安易にすぎる考え方で、あまり重要視されていない。  さきに述べた基本的な二つの考え方のうちの後者、つまり、無量光と無量寿という二人の仏格を想定する説は藤田宏達氏によって代表される。氏は『華厳経入法界品』その他、阿弥陀仏の登場する多数のサンスクリット経典を調査し、「アミターユス」という名を主として用いる 大乗経典と、「アミターバ」を主とするものと、2種類の経典があることを発見し、この事実から氏は、おそらく、初期大乗教徒のあいだに「アミターユス」を重視するグループと、「アミターバ」を主として用いるグループとがほとんど同時期に存在したが、阿弥陀仏を主題とする浄土経典、主として〈無量寿経〉と『阿弥陀経』とは、この二つのグループを調和・統一する意図のもとに編集されたのであろう、という有力な学説を発表した。以上の諸説の要約は拙稿「阿弥陀仏論争」(『神秘思想論集』、成田山新勝寺、1984年、所収) に紹介されている。  1961年に、キーファーがタキシラにおいて銘文をもつ阿弥陀三尊仏像を発見したが、その銘文の研究はブラフによって1982年に至って発表された(John Brough, Amitābha and Avalokiteśvara in an Inscribed Gandhāran Sculpture, Indologica Taurinensia, Vol. X, Edizioni Jollygrafica, Torino, Italy, p. 65-70)。  そのカローシュティー文字で書かれたガーンダーリー語の碑文の中では。阿弥陀仏の名はamridahaとしてあらわれ、それはサンスクリッ卜語のamṛtābhaに相当する。ブラフはamitābha, amitāyus の前分amita-は中期インド語としてはサンスクリッ卜のamita( 無量な)とamṛta-(不死)の両者を意味しうると云う。前記碑文ではamṛtābha(不死の光明をもつもの) の形が現われていることになる。さらにブラフは、もし阿弥陀仏の名が最初にガーンダーリー語として現われたとすれば、カローシュティー文字の突飛な綴字法のために、-ābhaと-āyusという2つの後分語は実は同一であるか、あるいはむしろその一つから他が発展したと云えると云う。カローシュティー文字では-ābha は-aha, -a'a と綴られ。その単数主格は -a'u, -ayu となるために、-ābha が -āyus と理解されることになりうる。けっきょくは、Amṛdaha が Amṛdayu(サンスクリッ卜形 Amṛtābha→Amṛtāyus)となるか、あるいはその逆の発展がカローシュティー文字において起こった可能性がある、という。ブラフは、Amṛtābha→Amitābha→Amitāyus あるいは Amṛtāyus→Amitāyus→Amitābha という発展がカローシュティー文字で書かれたガーンダーリー語の中において起こった、ということを、一つの仮説としてではあるが、提唱している。サンスクリッ卜語Amṛtā-が中期インド語においてamita- となりうることが再び主張され、しかも碑文の裏付けも得られたとすると、阿弥陀の名称について今後も研究と論争が続けられるであろう。  ちなみにガーンダーリー語とは、西北インドの中期インド語で、西暦紀元前後、数世紀にわたって中央アジアにおいて広く用いられ、サンスクリッ卜語仏典が東漸する以前に、インドの仏典を中央アジア、そして中国に伝えるために重要な役割を果たした言語である。  なお、経典・論釈を問わず。「仏陀」および「如来」という語は時には阿弥陀仏、時には釈迦牟尼仏の意味であらわれる。その曖昧さをさけるために。梶山は、原則として、この両語が阿弥陀仏を意味するときは「阿弥陀如来」あるいはたんに「如来」と訳し。釈迦牟尼を意味するときは「釈迦牟尼仏」「釈尊」と訳した。