げんご
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
言語
総論
古代インドにあっても、言語が人間相互の意味伝達の手段であった、との推定を妨げるものは何ひとつない。一方『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ文献には、宇宙の根本原理としての言語・その起源の問題をはじめとして言語の哲学的思考の萌芽が随所にうかがわれる。一定数の長短の音節の配列よりなる種々の韻律をもつ詩句が、何がしかの超常的な場を現ずる力と考えられたこと、祭儀などのさまざまな宗教的営為のなかで重要な役割を担ったこと、またその詩句を駆使するものに特権的な地位を保証したことなどは重要である。基本的には聖(vaidika)・俗(laukika)両者の言語の同質性を承認したものの、日常言語に対して、まぎれもない真実を具現する聖語の集成としてのヴェーダは正確に口伝されて長きにわたり絶大な権威をほしいままにしたが、それは同時にヴェーダの補助学(vedāńga)としてはやくから音声学(śikṣā)、文法学(vyākaraṇa)、語源学(nirukta)を発達させることになった。雅語たるサンスクリットの鋭利な分析・観察と帰納の所産というべきこうした言語学は表現の学たる修辞学のみならず、バラモン哲学・宗教諸派や仏教・ジャイナ教のおのおのの宗教的・哲学的課題にみあう言語の哲学的考察に対して、不可欠な術語を資するとともに、まさしくその礎石となった(言語理論の実際においておのおの用語法に独自性が見られる点はつねに留意すべきである)。
ヤースカ(前5C.)の『ニルクタ』は、動詞(ākhyāta)、名詞(nāman)などの語の分類、および一切の名詞を動詞語根から誘導するという方法論的姿勢を明確にするなど、ブラーフマナなどにすでに散見する語源解釈の単なる集成ではない。パーニニ(前5C.)の文法書『アシュターディヤーイー』は主として語の形態・音韻変化についての諸規則を組織的に記すものであり、定式化のうえの創意に富みそのみごとな達成であるという点で歴史上他に類を見ないものである。語の対象に関する個物説と普遍説を伝えるカーティヤーヤナ(前3C.)の注釈『ヴァールティカ』、およびパタンジャリ(前2C.)の膨大な注釈書『マハー・バーシャ』にいたっては、文法学的諸規定の細説のほか、語(シャブダ、śabda)の本質・対象・機能についての考察を豊富に含んでいる。バルトリハリ(5、6C.)は、現在部分的に回収されている注釈『マハー・バーシャ・ディーピカー』を著わしたほか、独立の大著『ヴァーキヤ・パディーヤ』において、ヴェーダーンタ哲学を導入して語ブラフマン(śabdabrahman)論を唱導し、文法学をダルシャナ(darśana)の位置にまで高めた。また音声から表意体としての語を区別してスポータ(sdhoṭa)説を明確にし、さらに精繊な言語理論を発展させるにいたった。
こうした文法学派とならんでヴェーダの絶対性を擁護すべく意味論上の最小単位としての常住なる語と、その本質としてのヴァルナ(字音、varNa)を主張したミーマーンサー派はまた聖典解釈法に独自の考察を加え、特に文の意味伝達法に関しては、表示連関(abhihitānvaya)、連関表示(anvitābhidāna)という、相異なる二つの理論を残した。ヴァイシェーシカ派は、実在論の立場から一切の現象的与件を端的には単語の対象を意味するパダールタ(padārtha)として分類・整理し、それら相互の関係を考察することで、語と語の対象の議論に存在論的基盤を提供した。素朴な経験主義に立つニヤーヤ派は、ヴァイシェーシカ派と同様、語を無常な音声と考えるとともに、論理学(論証など)における言語の有用性を探った。
ヴェーダにまっこうから背を向け、解脱へと向かう宗教的実践のうちに言語(行為)を捉えた仏教・ジャイナ教は、おのおののよって立つところにより、バラモン哲学・宗教諸派と何がしか類似の言語理論を育んだが、特に仏教では、真実不可説の立場から勝義・世俗の二諦説を生みだすにいたった。またディグナーガ(5,6C.)によって確立を見た語の対象を否定を媒介として規定するアポーハ(apoha)説は、仏教が産んだ種々言語論のうちの代表的なものである。次いで、真実可説の信念のもと、智慧と方便のすみやかな融合を企てるタントラ教(密教)によって、ヴェーダ古来の種子(bīja)やマントラ(mantra)といった神秘的言語観が、サーンキヤやヴェーダーンタ的世界観を取りこむことによって蘇生され教理化された。それはチベット・中国・日本に伝わり特異な密教の言語観として開花を見るものであり、中世以後のインドにおいて、仏教の駆逐された後もなおバラモン哲学・宗教諸派を取りこんだかたちでより広範に展開を見る、シヴァ神・ヴィシュヌ神信仰(なかんずくシャクティ信仰)の神学のなかに命脈を保つにいたるところのものである。