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じゅうにいんねん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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十二因縁

  1. 無明
     根本的な生存欲のことで、ほとんど自覚不能であるため、こう呼ばれます。「」も同義語です。四聖諦の説では、ほとんど抑制不能という意味で「渇愛」が無明と同義語として扱われますが、十二因縁の場合には、渇愛は無明とは別のものとして後で出てきます。

  2.  何とも訳しづらい語なのですが、五蘊の中に数えられる「行」と同義だとしますと、記憶や意思などの心の作用ということになります。

  3.  認識・判断作用のことです。これは、言うまでもなく、記憶や意思などがなければ成立しません。
  4. 名色
     名称と形態ということで、つまりは、この世界にある、認識の対象としての森羅万象のことです。私たちは、判断という形を取らなければ、対象世界について何も語れないのです。これをインド哲学一般の言い方でいえば、認識(判断)されて初めて世界の要素は存在するものとして確立される、ということになります。
  5. 六処(六入)
     六根とも。眼耳鼻舌身意の六つの感官(前五者が外官、最後が内官)のことをいいます。

  6.  感官と対象とが接触することです。

  7.  心の感受作用のことです。

  8.  渇愛のことです。ここでは無明と同義ではありませんから、強い欲望というぐらいの意味です。

  9.  執著のことです。これが、善悪の行為(業)の直接の原動力となります。

  10.  輪廻的な生存のことです。因果応報、自業自得の原則により、業が輪廻的な生存を生み出すのです。

  11.  誕生のことです。苦はここから始まります。
  12. 老・死・愁い・悲しみ・苦・憂慮・悩み。
     読んで字のごとしです。簡潔には「老・死」だけで済まされますが、要するに輪廻的な生存に必然的に伴うさまざまな苦ということです。