じんし
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
尋伺
vitarka-vicāra (S)
「尋」と「伺」のこと。小乗のアビダルマに於いて、不定法のうちの2つの心所。
ブッダは注意深い観察によって得られた経験的な事実のあり方を徹底的に考察する、新たにみずから開発した瞑想(観)に入り、その結果十二因縁に揺るぎない確信を得たことで目覚めた人ブッダになったのであるが、観の要はヴィタルカとヴィチャーラにあるとされ、ブッダが体系づけた四禅の要点とされた。ヴィタルカは漢訳では「尋」とされるが、これは、「詳細にわたって」(ヴィ)「仮言命題(〜ならば)を用いて検証すること」(タルカ)であり、まさにブッダが開発した此縁性という因果関係検証法にほかならない。ヴィチャーラ(漢訳では「伺」とされる)は、そうやって確定された事実関係を実践上の課題としてしっかりと位置づけることにほかならないのである。
「尋」は対象を粗く考えることで、「伺」は対象を微細に考察することである。旧訳では「覚観」としている。〔倶舎論4〕
「vitarka」を「粗い思考」、「vicāra」を「細密な思考」といった風に訳すのが一般的であるが、これでは何のことかまったく分からない。
vitarkayati (S)
推求すること。〔有部律破僧儀 T24-134b〕
尋思
anuvi-tark: tarka: paryā-iṣ: paryeṣaṇā: vitarka (S)
追求すること。たずねること。調べること。言葉で何かと考えること。あれこれと考え思いをはせること。悪い尋思のなか欲尋思・患尋思・害尋思は、出家をねがうことをさまたげる尋思であり、眷属尋思・国土尋思・不死尋思は定まった心である三摩地をさまたげる尋思である。
四尋思のことを言う場合もある。
- 義と事と相と品と時と理とに於て尋思す
- 婆羅門ありて性として尋思し、性として観察して尋思の地に住す
- 此の菩提は不思議にして一切の尋思の道を超過す