伽藍造営や維持の費用を国から受ける寺で、官大寺・国分寺・有食封寺(ゆうじきふじ)・定額寺(じようがくじ)が含まれる。
天武朝の中央集権的な仏教統制政策の下で、氏寺(うじでら)・私寺といった私的目的で建立された寺院が、経営の困難もあって国家仏教寺院へと再編されたのが官寺の発端であり、早い例では679年(天武8)寺の食封(じきふ)調査の詔が見えている。以後,主たる大寺は当初から官寺として建立されるようになり、古代においては官寺が仏教の主軸を形成した。