1205年(元久2)、奈良興福寺の僧綱(そうごう)らより提出された念仏停止を求める奏状。貞慶の執筆とされる。 急速に広まった法然の念仏は、既成の教団を脅かし、社会問題化する情勢となった。そこで南都から提出されたのが本状で、新宗を立つる失、新像を図する失、釈尊を軽んずる失、万善を妨ぐる失、霊神に背く失、浄土に暗き失、念仏を誤る失、釈衆を損ずる失、国土を乱す失の9条からなる。 この翌年から法然教団への弾圧が始まる.