かくばん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
覚鑁
生地:肥前
没地:紀州
平安時代の僧。新義真言宗の開祖。諡号は興教大師。
13歳のとき仁和寺で剃髪得度し、奈良で[[ほっそう|法相を学び、高野山に登って密印を受け、三井の覚猷や醍醐の賢海などから秘訣を授けられた。
大治1(1126)年紀州石手邑に伝法院を建立し、天承1(31)年高野山に講堂、密室、密厳院などの大伝法院を建て伝法大会を行なった。
長承3(34)年白河法皇の詔勅によって大伝法院座主となり、金剛峰寺座主をも兼任、翌年辞して密厳院にこもり、もっぱら密観を修習して自性加持身説を唱えた。このため山僧が突然蜂起して密厳院を襲ったので、覚鑁は難を逃れて紀州根来にこもった。その後この地に円明寺を建て、ここで亡くなる。
その後、彼の門弟たちは高野山と相いれず、新義真言宗という一派を立てた。
事相の伝流を伝法院流という。
著書
- 五輪九字秘釈
- 孝養集
などがある。