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えいぞん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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叡尊

1201年 - 1290年。鎌倉中期の律宗の僧。姓は源氏。大和国(奈良県)添上(そうのかみ)郡箕田(みのた)の人。字は思円(しえん)。諱は興正菩薩(こうしょうぼさつ)。

 11歳で醍醐寺睿賢に師事。その後、恵操(えそう)、信経(しんぎょう)らに密教唯識を学んだが、空海の遺誡(いかい)を読み、戒律による衆生済度を決意して、戒如(かいにょ)、覚証(かくしょう)らに戒律を学ぶ。
 36歳のとき、東大寺大仏殿で覚盛(かくじょう)らと自誓受戒(じせいじゅかい)したのち、西大寺を拠点に各地で授戒した。
 また、殺生(せっしょう)禁断、慈善事業を行い、文殊信仰による非人(ひにん)救済も積極的に推進した。
 1262年(弘長2)北条実時(さねとき)招請によって鎌倉を教化、蒙古(もうこ)襲来における祈祷(きとう)、光明真言会(こうみょうしんごんえ)の興行を行って西大寺流の顕揚と発展を促した。
 正応(しょうおう)3年8月25日、90歳で西大寺に没す。

著書

  • 『感身学正記(かんじんがくしょうき)』自叙伝
  • 『梵網経古迹記文集(ぼんもうきょうこじゃくきもんじゅう)』
  • 『表無表章文集(ひょうむひょうしょうもんじゅう)』
  • 『菩薩戒本宗要(ぼさつかいほんしゅうよう)』などの開板