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さいゆうき

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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西遊記

中国、明(みん)代に完成した長編の口語体章回小説。『三国志演義』『水滸伝(すいこでん)』『金瓶梅(きんぺいばい)』とともに、いわゆる「四大奇書」の一つ。

成立

 唐の太宗のとき、玄奘三蔵が国禁を犯して出国、困難を克服してインドに取経旅行した史実は、唐代に早くも伝説化された。南宋に至ると、講談の台本とみられる、短く素朴なストーリー性をもつ『大唐三蔵取経詩話』が現れ、孫悟空が猴行者(こうぎょうじゃ)、沙悟浄(さごじょう)が深沙神(しんしゃしん)として登場する。そのほか、壁画、詩、戯曲などに伝承された断片的な説話が、元末になってほぼ骨格の整った『西遊記』となる。朝鮮に伝わる『朴通事諺解(ぼくつうじげんかい)』、明(みん)の百科全書『永楽大典(えいらくたいてん)』は、そのころの物語の断片を存する。これが現行の形に大きく近づくのは、明の中葉に成った『西遊釈尼(しゃくに)(厄(やく))伝』によってである。従来の物語を集大成し、大幅に肉づけしたとされる『釈尼伝』自体は現存せず、編者も不明であるが、概要は、1592年(万暦20)に金陵(きんりょう)の世徳堂が刊行した『西遊記』(世本)などに伝わり、ここで『西遊記』はいちおうの完成をみる。その後、清(しん)代康煕(こうき)年間(1662~1722)には、陳士斌(ちんしひん)評の『西遊真詮(しんせん)』(1696)も刊行された。
 著者は明の文人呉承恩(ごしょうおん)という通説があるのは、『淮安府志(わいなんふし)』の記述などに拠(よ)るものだが、成立の過程をみてもわかるように、1人の人間がある時期に書き上げたものではなく、長い間に多くの人の手を経て成った書である。呉承恩がなんらかの形でかかわった可能性はあるが、著者とはいえない。

内容

 大きく分けて四つの部分から構成される。(1)孫悟空の生い立ち(第1~8回) 花果山(かかざん)の仙石から生まれた悟空は、変化(へんげ)の術を身につけ、斗雲(きんとうん)(一つとんぼ返りをやると10万8000里飛ぶ)に乗り、如意棒(にょいぼう)(伸縮自在、一打ちで相手を倒すことができる)を得物に天地を騒がす。いったんは天帝に取り込まれそうになるが、蟠桃(ばんとう)をむさぼり食ってふたたび天宮を騒がせ、天帝側の神々と戦いを繰り広げる。最後は如来(にょらい)の5本の指の下に取り押さえられる。(2)玄奘の生い立ち(第9回)。(3)唐太宗の地獄巡り(第10~12回)。(4)インド取経の旅(第13~99回) 玄奘は五行山下の悟空を救い出して旅に出る。途中で白馬となった竜を乗り物にして進み、人間の家に婿入りしていた豚の化け物、猪八戒(ちょはっかい)を従者に加える。次に、流沙(りゅうさ)河で河に潜む沙悟浄も従者とする。こうして一行は、九九八十一難(くくはちじゅういちなん)に遭い、さまざまの妖怪(ようかい)と戦う。金角・銀角を瓢(ふくべ)の中に吸い込み、羅刹女(らせつにょ)・牛魔王から芭蕉扇(ばしょうせん)をだまし取って火焔山(かえんざん)の炎を鎮め、無事西方の楽土にたどり着く。そして経文を携えて都に帰った一行はみごとに成仏する(第100回)。

影響

 『西遊記』の魅力の一つは、三蔵法師と3従者の取り合わせの妙にある。天衣無縫で乱暴者の孫悟空、鈍重で食物と女に目のない猪八戒、むっつり屋の沙悟浄、お題目だけで無能な三蔵法師と、それぞれの性格の鮮やかな描き分けは、精彩ある描写とともにこの長い物語を平板でないものにしている。ユーモアと風刺を交えながら妖怪にまで人間性を加味した『西遊記』は、明代以降の他の神魔小説の追随を許さない。とりわけ、天宮に反抗し妖魔と戦う孫悟空の活躍は、人々の心をとらえ、京劇でも人気を博している。さらに本書は、中国民間説話の宝庫ともいわれ、その意味でも貴重な存在である。
 中国では『西遊記』の続作として、明末の『西遊補』、清初の『後西遊記』などが編まれた。なかでも『西遊補』は、夢境に迷い込んだ悟空を通して明末の世相を風刺する秀作である。日本に『西遊記』が入ったのは江戸初期であるが、中期に至って邦訳『通俗西遊記』『絵本西遊記』が刊行され、広く読まれるようになった。