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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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sukha (skt.)

 たのしい、こころよいことで、心身ともに安楽であることをいう。に対する。仏教では、楽について3種の理解がある。

楽受

 人が対象と接したときに受ける感受作用の一つで、楽受という。快適な対象を感受して心身ともにこころよく受ける感受作用である。反対に、不快感をもたらし、苦痛をともなう感受作用を苦受といい、苦とも楽とも感じない感受作用を不苦不楽受、または捨受(しゃじゅ)という。以上の三つの受を三受という。

楽顛倒

 四顛倒(してんどう)の一つ、苦を楽と見る楽顛倒をいう。四顛倒とは、生存者について本来、無常の存在であるのに常ととらえ、生存のあらゆるものが苦であるのに楽と見、不浄であるのに浄と見、無我であるのに有我と見る、道理に違反したよこしまな四つの見解をいう。

涅槃の境地

 涅槃(ねはん)、さとり、解脱(げだつ)の境地をいう。たとえば無常偈(雪山偈)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」にいう楽である。

インド哲学の楽

 仏教以外のインド哲学では、実体として九つある中の(aatman)の性質として数えあげる17の第13番目に快感、すなわち楽をあげる(ヴァイシェーシカ哲学)。また、万物を構成する三つの要素の一つとしての純質(sattva)を楽という(サーンキヤ哲学)。


同じ字ではあるが、(ぎょう)はねがうという意味があり、心に欲する心がまえを意楽(いぎょう)という。