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鳩摩羅駄

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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鳩摩羅駄

kumāralabdha (S) 鳩摩羅多、矩摩邏多、拘摩羅羅多、鳩摩羅陀などと音写され、童首、豪童などと訳される論師のこと。
 史上2人いるので注意が必要。

経量部

 アショーカ王の時代の鳩摩羅駄。

昔、経部の拘摩羅邏多(唐に童受)論師、ここに於いて諸論を製述す。    〔西域記3〕
無憂王の存命の世に、その宮中に即して、卒塔婆を建つ。その王、後に居を宮の東北隅に遷り、その故宮を以て、尊者童受論師のために、僧伽藍を建つ。台閣高く広く、仏像は威厳あり。尊者は咀叉始羅国の人なり。幼くして穎悟にして、早く俗塵を離る。その所製の論は凡そ数十部、並びに盛宣を行じて翫習せざることなし、即ち経部の本師なり。    〔西域記12〕

薩婆多部

 仏滅後800年の末に生まれ、付法蔵第19祖となり、薩婆多部の学者にして、『成実論』の著者訶梨跋摩の師である。

成実論は、仏滅度の後、八百九十年、罽賓の小乗学者の匠。鳩摩羅陀の上足の弟子、訶梨跋摩の所造なり。    〔成実論 僧叡序〕