操作

ふじょうかん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2018年7月31日 (火) 15:47時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「=不浄観= <big>aśubha-bhāvanā: aśubhā-prayukta</big> (S)  「不浄」とも略称。不浄であると観察する修行法。特に肉体に対する貪りが...」)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

不浄観

aśubha-bhāvanā: aśubhā-prayukta (S)

 「不浄」とも略称。不浄であると観察する修行法。特に肉体に対する貪りが強い人が修すべき観法。
 具体的には、死体がおかれた場所(塚間)に行って、死体が腐乱していく様相を、たとえば青ぶくれになったさま(青瘀)、ただれて膿が出ているさま(膿燗)、腐敗してふくれたさま(膖脹)、腐って赤くなったさま(異赤)、鳥獣に食べられるさま(被食)、うじ虫が出ているさま(虫蛆)、死体が動かないさま(屍不動)、骨鎖になっているさま、などを見てそれらを心に刻み、再び静かな場所に返ってそれらの様相を心のなかに浮かべて観察し、思惟して肉体の本質を見極めて肉体へ貪欲を断ちきる修行をいう。

 この不浄観は『婆沙論』『倶舎論』では五停心観の一つにあげられ、持息念と並んで修行に入る要門とされる。
 『瑜伽論』では4つの対象(遍満所縁・浄行所縁・善巧所縁・浄惑所縁)を観察するヨーガのなかの浄行所縁を観察する修行のなかに不浄観が含まれ、不浄を朽械不浄・苦悩不浄・下劣不浄・観待不浄・煩悩不浄・速壊不浄の6つに分けて詳説する〔『瑜伽』26、T30-428c以下〕。

 修観行者、如是繋念在眉間等、観察死屍青癌等相、即不浄観。(中略)先往塚間、観察死屍青癌等相、善取相已、退坐一処、重観彼相。〔『婆沙』40、T27-205a~b〕
 正入修門要者有二。一不浄観、二持息念。誰於何門、能正入修。如次応知、貧尋増者。〔『倶舎』22、T29-117b〕

cf.『瑜伽』30、T30-452a以下