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さんぼうてんでんいんがどうじ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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三法展転因果同時

 〈唯識〉の所説。3つの法(存在)の因果の連続が同時であるということ。
 3つの法とは、(1) 潜在的な根本心である阿頼耶識のなかの種子(可能力)が因となって現行(現象的存在)が果として生じ、(2) 生じた現行が因となって阿頼耶識のなかに果としての種子を薫じつける、という過程のなかで、(1) のなかの因として「種子」と、果としての「現行」と、そして、それが(2) のなかの因となった「現行」と、果としての「種子」との3つを、すなわち「種子」と「現行」と「種子」との3つをいい、これら3つからなる因果の連続が同時に起こることを三法展転因果同時という。

 能薫識等、従種生時、即能為因、復薫成種。三法展転、因果同時、如炷生焔、焔生焦炷。亦如蘆束、更互相依。〔『成唯識論』2,T31-10a〕